「すごい人」と知り合いたがる輩に欠けた視点
東洋経済オンライン
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注目のコメント
ほんとにこれだと思います。
『世の中には、たしかに頭のいい人、切れ者と言われるような人もたくさんいます。しかし、そうした頭の能力の違いは、あるとしても誤差、しょせんは同じ人間です。』
そして、その前提で誰に対してもフラットであれと。
まともでしぶとく仕事を出来る人は、この振る舞いを確実に持ってる気がします。”聴く”ことと、”聞く”ことは違うという話にも通じるのかもしれませんね。
我々日本人は、相手をリスペクトしすぎてしまって、受け身になりがち。ただ、それって相手の時間を奪っているだけなんですよね。本当のリスペクトというのは、相手の時間を奪っているという感覚があるので、Give and Takeを意識しながら、対話ができるのかどうか。
そう考えると、読書も同じかも?こういう場合、輩が求めるのは「すごい人」=「有名な人」なんだけど、有名でなくてもすごい人というのはいるもので、話を聞いてみないとわからなかったりする。しかし、輩という言葉は、相当貶めている気がする。
ある人がなんの人でどんなことできるのか、わからんとすごくても「すごい人」クラスタに行けないんじゃないかと思ったりする。ここらへんは岡島悦子さんのむかーしの著書「抜擢されるされる人の人脈力」を正月見返したところから思い起こした。すごくもないのにうまいタグの付け方だけで有名な人もいそうですし。