• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

大学入試国語、問題文の著者本人が自ら解いて気づいた「読解力」の本質

256
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • badge
    東京大学 大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻 教授

    「設問者が聞いているのは、著者の私の本当の考えなどではない。

    いまここに出されている問題文から何を読み取れるか、それを問うているのである。

    著者であろうと、自分の勝手な考えを書いても(選んでも)正解にはならない。

    文章を書いた本人であろうと、問題を解くなら、いまいちど問題文を精読するしかない。」


    「作者であっても正解できない問題を出すなんて愚問だ」とする論を展開される方もいらっしゃる中、よくぞおしゃっていただいたと思います。私もこの意見に賛成です。

    これって、コミュニケーションやプレゼンテーション全般に言えることだと思っています。「どういうつもりで言ったか」「どのような意図があったか」「どういう気持で言ったか」ではなく、「相手にどう伝わったか」「相手にどう理解されたか」「相手をどのような気持ちにさせたか」が重要なのだと思います。


  • badge
    関西学院大学フェロー/ZEROBILLBANK JAPAN プロジェクトパートナー /JCE (JapanCreativeEnterprise) Chief Innovation Architect

    学生時代から個人的に疑問視していた国語のテスト。「著者が一番伝えたいことは何であるか…?」という設問は、正解が一つなのか?と思っていたし、状況が変われば一番伝えたいことなんて変わると思っていたので、国語テストで問われる読解力を疑問視していました。しかも、著者本人が既に他界されている場合、"本当に伝えたいこと"を確認もできないものをテストに用いるなんて…、読解力を確認するテストとして全く適していないと思っていたので、非常に面白い内容でした。多くの場合、本当に伝えたいことは文章として綴られていないと思う。物語りの世界に没入して、"あれこれ"思考を巡らせることが一番の"学び"があると思う。


  • badge
    東京大学大学院新領域創成科学研究科 准教授

    「類推の禁止、想像の禁止」「書かれている文章だけから分かることを答える」というのは,説明文についてはまったくもってそのとおりだと思うのですが,物語って書かれている文章の行間にひそむあれこれを想像するのが楽しいですよね.なので,個人的には物語文について試験問題としてあれこれ聞かれるのはあんまり好きではないです.そこは解釈の幅があってもよくない?と思ってしまう派.

    あと,最近息子の国語の文章の問題とか見ていて感じるのが,大体主人公がちょっと素直じゃないんですよねぇ.親に不必要に反発して問題を起こしたりする.なんかいまいち共感できないタイプの文章が多くて気になってます.(が,そういう感情の起伏があるタイプの主人公じゃないと設問ができない)


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか