18歳の学力は世界一、でもその後は…日本の大学教育の「ヤバい現実」
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注目のコメント
入口主義の弊害は昔から指摘されているのに、未だに入口主義が強いです。一昔前よりは厳しく変わってきましたが、学生の成長を促すほどのプレッシャーは弱いです。
大学ばかりが悪い訳ではなく、卒業後の人材育成も生ぬるいことも一因です。
表面的な公平・平等では人は育たないし、厳しいビジネス環境にも耐えられません。柳沢先生のお話は何度か伺う機会があり、とても刺激になることが多いのですが、ここで書かれていること自体に特に目新しいことはなく、少し残念な気分です。
「入口主義」については、本当に昔から言われ続けていることにもかかわらず、未だに変化が少ないことが問題であり、そこをどう変えるのか提言して欲しかった。
ただ、外国の大学を訪れてみると、日本の大学についての危機感が募ることは間違いない。
一昨年、カナダのUBCを訪れた時、キャンパスの至る所で本気で学んでいる学生達を目にした。
バンクーバーの中央図書館でも同様だった。
僕自身も大学時代は本当に学んだとは言い切れず、今は後悔しかない。
その後悔を原動力に今必死になっても取り戻せないものの多さは計り知れない。
自分自身の体験から、何とかして本当の意味での学ぶ意味を伝えられる機関を作りたいと今必死に踠いている。
危機感を行動につなげる動きがもっと広がって欲しいし、一人一人がもっと当事者意識を持って欲しいと感じている。日本人は真面目だと思います。
しかし、その真面目さは社会の価値観に最適化されて、優秀さとは全く異なる方向に進んでいってる気がします。
中学時代、高校時代は受験に最適化されます。多くの人が程度の差はあれ勉強します。
大学時代は単位をとって卒業することに最適化されます。勉強する量の差は広がり、ストイックさは多くの場合で失われます。
社会人になると真面目さの定義はついに、「上司の飲みを断らないこと」「定時に帰らないこと」「与えられた仕事を消化すること」などに変わっていきますが、多くの人が嫌々でもこの真面目さに自分を最適化します。