「数学五輪」の常連、灘の数研 先生もかなわない才能
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まあ中高6年分の数学ならやろうと思えば余裕で1年で出来ると思います。以前、6年間サッカーに打ち込んで数学全くやって来なかった文系の生徒さんに3か月で6年分の数学(と物理と化学)を教えて理系大に入れてあげたんですが、まあなんとかなりました。
私も中学高校時代は自分で数学サークル(+物理、化学サークルも自然にできて、もはや私の手を離れて勝手にやっていた)を勝手に作って運営していたんですが、大学レベルの教科書は数学教師の本棚に少しあるくらいで、微積と線形の一部は自力で拡張して今思えば大学レベルのことをやっていたんですが、数学オリンピックの本戦出場者や京大理学部で会った奴らは、この記事に書かれているようにその遥か先をやっていて、環境って大きいなと思い知らされました。
今はTwitterで高度な数学セミナーが全国で多数開かれ、Skypeでも参加できるので、こうした活動も必ずしも特殊な環境でなくても参加できるかも知れません。
私も本の輪読実況とかしてみようかな。何を学ぶか?を人任せや天下りで済ませられる人達は、学ぶ対象を愛しているのではなく、通過儀礼や承認欲求として学んでるだけなんだと思います。
そして学ぶメソッドの方に関心が集まりやすい分野は、全体の見取り図を把握しづらいことが多く、目的を試験や競争に設定することで学びを効率化してしまいがち。結果、その分野を学ぶ意義や楽しさを追求することなく、その時々の流行り廃りでキャッチアップとして学ぶことに。
社会人になってから学ぶというのは、ある種研究者と同じで、テーマや目的を自分なりの見取り図から導き出して独自の探求を続けることなんだと思います。それが抽象化されておらず、再現性の無い現象の理解ということで、自らの人生観を確立することも学びの1つでしょう。研究発表の場は大抵居酒屋ですが。
恐らく教育現場に欠けている視点として、学問分野の見取り図を自ら考えさせることなのだと思います。それをサークルやコミュニティで補うことで、脆弱なメソッドでは辿り着けないところまで自然と研究する習慣が身に付くというのは、良い傾向だと思います。「何を勉強すれば良いですか?」というのは愚問で、何か楽しそうだから一緒に学びたいと思う場をたくさん作ることが、学生にも社会人にも必要だと思います。
得てしてお金を取って学びの場を提供しているところに限って、講師側が真剣に学んでいないことが多く感じます。先日新たに学びたいと思って参加したイベントで、離散幾何解析学をやっている先生が楽しそうに話しているのを聞いて、いつか一緒に学びたいなぁと思いました。まだまだ一緒に学ぶレベルに無いですが、楽しさを感じ取れた自分のアンテナはまだ錆び付いていないなぁと思い、トポロジーから勉強し直してます。