『エヴァ』の名を悪用したガイナックスと報道に強く憤る理由
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注目のコメント
庵野監督とは定期的に食事をご一緒しているので、これまでにも幾ばくかのお話を伺う機会がありましたが、それでもこんなに酷いなんて想像もできなかった。
まずは事実が認識されることを望んで、微力ですが個人的にもできる限りの拡散をしたいです。
この記事すら、書ける範囲でしかないだろうし、過剰な批判にならない気遣いが含まれていることを考えると、心が痛くなります。本当に腹がたつ。
クリエイターがクリエイションのことだけに集中できる人生だったらどこまで出来るんだろう。経営なんて下らないことから解放されたらどれだけ良いか。そんな葛藤を10年以上抱え続けた人間のひとりとして、もう一度世の中に失望するには十分すぎるニュースでした。 それでもやりたいことがある人間は、それしかできない人間は、続けていくしかない。誰かに「自分のやりたいこと」を人質に取られている気すらして、行き場がなるなることもある。それでも続けていくしかない。
監督がこんな無駄な作業に時間を使わなくて済んでいたら。それを考えるだけでも悲しくなる。庵野秀明というクリエイターがどういったプライオリティで行動するのかが良く判る文章だと思います。恐らく彼にとっての作品とは我々一般常識人にとっての世界と同等の価値を持っているものなんだと思います。そういう「世界と同等のもの」を無碍に扱い滅ぼしてしまう人間は何よりも悪なのです。
また、彼にとって「取締役を受ける」という事は恐らく、苦楽を共にした友への友情の証であり、彼の才能に付いていけなかった者への哀れみでもあり、彼なりの責任の取り方なのでしょう。しかし文章には起こさなかった。それもまた彼の中に残る友情の残滓であり、遠き過去の友情への未練なのだと思えば、見えてくる景色も違うのではなかろうか。
これを読んで僕は岡田斗司夫をぶん殴りたくなりました。
【追記】
この手記を暴露文と取るか、彼の書いた「作品」と取るかで物事の捉え方が180度変わると思います。僕は是非とも後者として受け取ってほしい。
最近NPでは上質な教養が必要だみたいな論調で公式パブをいくつも出してるが、教養の本質はこの文章の裏側に隠されているような豊かな感情とそれを包摂し受容する社会との関係性が重要になる事を理解していれば、この文章から滲み出る愛情や怨恨の念を受け取って、自分の置かれた環境を省みた時に、思う事は沢山あるはずだ。
【教養の少ない人向け追記】
僕が「岡田斗司夫をぶん殴りたくなりました」と書いた意味は、岡田斗司夫が当件に関与していない事や、ガイナックスを去ることになった経緯や当時の問題はさておき、恐らく庵野秀明をこの世に送り出したのは間違いなくこの男だからです。そして恐らく彼がガイナックスを去った事がその後の山賀以下の悪癖を決定づけた事は明らかだからです。一部コメントで岡田斗司夫氏を非難する向きがありますが、彼はエヴァンゲリオン誕生前の1992年に退社しています。この件に関しても庵野さんとほぼ同様のメディアを非難する発信をしています。念のため補足です。