人とのつながりは多いほどいい? これからの「幸福マネジメント」
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科学的なデータによって、幸福に寄与する大きな要因が明確になりつつある。その鍵は「平等性」あるいは「格差の低減」である。
経済的な格差ではない。人間関係に表れる「ソーシャルな格差」が幸福度の大きな要因だということがデータで示されているのである。そして、この「ソーシャルな格差」は定量化可能なのである。
重要なのは、3つの尺度である。
第1は、何人と対面で繋がっているか。自分の周りにおいて、特定の人だけが沢山の人と繋がっていて、それ以外の人は、繋がりがほとんどない、というのは、「ソーシャルな格差」のある状態の典型なのである。
第2は、会議などの面会時の発言権である。特定の人だけが話をして、それ以外の人に発言の機会がほとんどない、というのが「ソーシャルな格差」のある状態である。
第3は、身体運動の同調である。人は、共感をもち、仲間意識を持つ相手(即ちソーシャルな格差のない相手)に対しては、対面しているときに、無意識に身体が同調して動く。頷きや発言のリズムなどの非言語的な表現で、相手との親しさを表現するのである。このような身体運動の同調性がないというのは、その人たちに「ソーシャルな格差」があることを示しているのである。
これら3つの尺度が低くなった「ソーシャルな格差」の生じた状態では、幸福度が必然的に低下し、メンタルヘルスに問題が出て、生産性が低下し、創造性は失われ、離職が増える。
いまやデータは、このような集団の振る舞いについても科学的な知見を我々にもたらすようになった。科学的なマネジメントが可能な時代になったのである。「自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない」という聖路加国際病院の元理事長日野原重明さんの言葉を引用されているので、被せて引用すると、日野原さんはこうも言っています。
「生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる」
なんでもかんでも人のためこそが美徳だみたいなことを言いたがる人多いんですが、それができるのは「自分を愛せている人」だけという大前提を忘れてしまわないでほしい。
自分を愛せていないのに人のためにがんばらせること、それはカルト宗教の洗脳か詐欺です。「分かち合う」という幸せ、、、、まさにそういう時代なんだと思います。11月に実は一つ関連会社を日本でも立ち上げたのですが、その名前がまさに「分かち合う」を意味をこめてコミュニオンにしました。(アメリカだと宗教用語になっちゃうけれど、もとめているイメージにはぴったりの言葉だった)
日野原重明先生の言葉は、ずしりと重く、心にストンと落ちるものでした。