大坂なおみの元コーチが語る「勝てる」選手の条件

2019/12/28
テニスの全米オープン、全豪オープンで2大会連続優勝を果たした大坂なおみ。その快挙をコーチとして支えたのが、サーシャ・バイン氏だ。
ドイツ出身のサーシャ氏は、2018年に大坂なおみのコーチに就任。
大坂なおみの快挙はサーシャ氏がコーチに就任した後から始まったといっても過言ではないだろう。
サーシャ氏は当時世界ランク68位だった大坂なおみを急成長させ、9月には日本人初の全米オープン優勝に導き、自身もWTA年間最優秀コーチに輝いた。
2019年には、全豪オープンも優勝し四大大会連続優勝を達成。ついに世界ランキング1位にまで大坂選手を押し上げたところで、円満にコーチ契約を解消した。
NewsPicksは9月に行われた東レ・パンパシフィック・トーナメントで、クリスティナ・ムラデノビッチ選手のコーチとして来日したサーシャ氏にインタビューする機会を得た。(サーシャ氏は、2020年シーズンでは、ダヤナ・ヤストレムスカのコーチに就任する予定)
サーシャ氏が7月に出版した著書『心を強くする』の内容を踏まえながら、「プロテニスコーチの仕事術」に迫った。(全2回)

エネルギー量をコントロールする

──大坂なおみ選手が優勝した2018年の全米オープンでは、サーシャさんのコーチングにも注目が集まりました。多岐に渡るテニスのコーチの役目を、自身ではどのような仕事だと考えていますか。
サーシャ 私はテニスのコーチは、年中無休の仕事だと思っています。
コートのなかではもちろん、コートの外でのサポートも非常に求められます。実際に、コート外でのサポートが、選手の成績に大きな影響を及ぼします。
人間が1日で使えるエネルギー量は限られているので、コートのなかで使うエネルギー量をいかにして最適化するかが重要です。

なかでもテニスは感情のコントロールが勝負をわけるスポーツですから、どうやったら選手に安心感を与えられるかをつねに考えています。もちろん、テクニックやフットワークといった、テニスの技術そのものも指導します。
テニスは個人スポーツでもありますから、コーチングも非常に複雑なものとなります。
──コートのなかで使うエネルギー量を最適化するという点について、詳しく聞かせてください。
選手にコートのなかで最大限にエネルギーを使ってもらうためには、コート外の活動をどう使うかが重要になります。
例えば、コートの予約や休息の入れ方など。
練習の時間を早朝にするのか、午前か午後にするのか。頻度は1日2回なのか。
そういった面で選手に負担をかけず、コーチが先読みしなければいけない点は数多くあります。
それらを滞りなく進めるにはコーチとしての経験はもちろん必要ですが、直感に頼ることも少なくありません。
──トッププロでも、ニック・キリオス選手(注:オーストラリア出身のプロテニスプレイヤー。シングルス最高ラインキングは13位)のようにコーチをつけない選手がいると聞きます。コーチがいるかいないかは選手の自由だと思いますが、コーチをつけない理由はどのようなことがありますか。
コーチングも相性があり、特定の選手にうまくいった手法が別の選手にもうまくいくわけではありません。おそらくキリオス選手も、「自分にはコーチはいらない」という考えで、それで問題ないのでしょう。
あまり考えたことはありませんが、すべてを自分で考えて決めたいという選手はいるはずです。

大坂なおみとセリーナの違い

──サーシャさんはこれまで、セリーナ・ウィリアムズ選手のトレーニングパートナーや大坂なおみ選手のコーチを務めてきました。著書のなかに、大坂なおみ選手はセリーナ選手と比べられることを嫌うという記述もありましたが、2人の違いについて教えてください。
プレースタイルは似ていると思います。
2人とも非常にアグレッシブで、ベースライン近くでのポジショニングを好んだりします。おそらく似ているからこそ、比較されていると思います。
ただ、性格は全く違います。
セリーナ選手は、コートのなかでもコートの外でも非常に強く、自分の思ったことを口にするタイプ。もちろん強く見せているところもありますが、強い個性を出しています。
一方、なおみ選手はもっと控えめで、自分からいろいろと言わないタイプです。
──大坂なおみ選手は、2、3年前からどんどん自己主張をするようになってきた印象があります。初めて大坂なおみ選手と会ったときの印象を聞かせてください。技術面、人間性など、どのような選手でしたか。
まず「非常にパワーがある」と驚きました。ただ一方、ショットのコントロールには不安も感じました。テニスというスポーツではパワーもあればあるほどいいわけではなく、相手にプレッシャーを与える方法は様々です。
ですので、パワーだけに頼らないプレーを一緒に学んでいくことにしました。
もう一つ気になったことが一貫性の欠如でした。彼女には毎日一定レベルでプレーできる安定感が必要だと感じました。
ただ、彼女の性格面は控えめで、それが非常に新鮮でした。
とても正直で、いつも穏やかでリラックスすることができていました。
(Photo by Harry How/Getty Images)
──安定感を身につけさせるために、具体的にはどういうコーチングをされましたか。
彼女は好調な日であれば、素晴らしいプレーを披露していました。そして、そのレベルで一貫してプレーするには、まず練習からできなければいけません。
そのため、毎日あたかも本番のコートであるかのような集中力、一貫性を持って練習してもらえるようなメニューを組むところからはじめました。
──勝つためのプレーと、自分のやりたいプレーは必ずしも一致しない場合も出てくると思います。その折り合いは、どのようにつけていくのでしょうか。
基本的には選手に自分のやりたいプレーを出してもらうようにしています。しかし、そこから崩れはじめることがあれば、代替案であるプランBへの移行が必要になります。
ただ、あらかじめ決めておいたプランBに、すぐに切り替えることができるかどうかはまた別な話です。すぐに戦いを切り替える、オープンな考え方が重要になってきます。
あとは、「自分のやりたいプレーを出すよりも、負ける方が嫌だ」という気持ちが強ければ、プランBに移行することもできるはずです。
そして、そのプランBを考えることが私の仕事だと思っています。
そこで描くシナリオは一つだけではありません。
選手には、まずは自分の強みで勝負してほしいとは考えますが、うまくいかない場面にも当然直面します。
そのときに、(自分の強みだけで勝負するのではなく)相手の弱みにつけ込むといった、別のシナリオに切り替えることになります。

偉大な選手の共通点

──これまで多くの選手を見てきたなかで、伸びる選手と伸びない選手の違いはありましたか。
情報の捉え方、取り込み方になるかと思います。
セリーナ選手やロジャー・フェデラー選手といった偉大な選手は、常に「自分はもっともっと学べる」と考えています。
どんな情報、誰の助言であっても、まずは心を開いて取り入れる姿勢を持っています。
実際に情報をどう使うかは自分自身の問題で、偉大な選手はそれらの整理や取捨選択を自分でできていると言えそうです。
──今のテニス界は、そのセリーナ選手やフェデラー選手のようなベテランが勝ち続けている傾向があります。現役期間が長くなっているのは、何か理由があるのでしょうか。それとも、セリーナ選手やフェデラー選手だからこそ、なのでしょうか。
当然、彼らが本当に優れているという点は忘れてはいけません。ただ、それ以外にもいくつか理由はあります。
まず一つ目に、テクノロジーの進化と技術的な変化です。20年前のように木製ラケットを使っていた時代では、肩を痛めて20年間も活躍できませんでした。
それにラケットやシューズはもちろん、現在のテニス界は栄養面を見ても過去とは違います。トップ選手は必ず理学療法士をツアーに同行させ、毎日マッサージも受けています。
これらの要素によって、キャリアの長さや能力を伸ばすことができているはずです。
次に、ハングリー精神が挙げられます。
向上のためには、飽きることなく同じことを繰り返すことが必要になってきますが、反復や退屈さを克服するのは非常に難しい。
しかし、偉大な選手はそれらをしっかりと乗り越えているものです。
最後にもう一つ挙げるとすれば、今の若い世代は少し忍耐が足りないとも感じています。
選手の評価も、ソーシャルメディアではあっという間に判断されるなど、情報化社会の現代は、ものごとが急速に進んでしまいます。
若い世代はそのスピードに慣れてしまっていますが、前の世代は時間がかかることを認識できているため、プロセスを大切に考えられます。
現代のようなスピードが重視される時代では、ゴールが手に届くところにあるにも関わらず、「半分までしか達成できていないから」と諦めてしまうこともあります。先にある目標に向かって、頑張ることができないのか、という思いを抱いたりもします。
──その目標をどう設定させるかが、コーチの大事な役割なのでしょうか。
まさにその通りですね。
実際に一部のプレーヤーは、ある一定レベルに到達してしまうと、そこで満足してしまい、さらに上にいくことができなかったりもします。
周囲の環境もその一因になり得るので、さらに目標を設定していくことは大切だと思います。
──ナンバーワンになると見える世界、景色、あるいは求められる振る舞いも変わって来ると思います。
やはり上に上っていくよりも、上った後でそこに留まることの方が難しいものです。
一旦トップになると、誰からもあらゆる角度で分析され、コピーされることもあります。それに、競争では上った人を引きずり下ろすしかありません。あらゆることを言われ、プレッシャーをかけられます。
──そういうとき、コーチが選手にかけてあげられるのは、どういう言葉が多かったですか。
支えが必要なのか、叱咤激励が必要なのか。それとも率直な意見が欲しいのか。その状況と、選手が何を必要としているかにもよりました。
──テニスは非常に競争が厳しい世界なだけに、ある程度勝つと満足してしまう選手が出てきてしまうのも頷けます。そこで満足させない、選手の心に火をつけたり、常にハングリーな状態を保たせるためには何が必要だと思いますか。
それは、選手一人ひとりが自身のなかに持っていなければいけないことで、ある意味で選手の個性とも言えるかもしれません。
コーチは選手の心に火をつけたり、ハングリーさを維持する手伝いはできますが、選手がハングリー精神をなくしたり満足してしまった状態では、どんな情報でも吸収されませんし、向上もないかと思います。
私たちは、ある日は真剣に、ある日は面白おかしく、ある日はソフトにと、様々な手法で選手がベストを尽くすための手伝いをしています。
しかし、基本的に選手自身が「もっとうまくなりたい」「向上したい」という気持ちがなければ、どれほど最高のコーチであったとしても、心の炎を燃やし続けることはできません。
──その点、セリーナ選手や大坂なおみ選手は、その気持ちが人一倍強い選手だったということですか。
本当にその通りで、私が一緒に取り組んできた選手は、全員がそうでした。なかでも、セリーナ選手となおみ選手はその気持ちが強かったと思います。
2人ともかなりの完璧主義で、勝ちたい気持ち、競争心は誰よりも強く持っていました。「このスポーツが好き」「このスポーツがやりたい」というだけでは、ナンバーワンにはなれません。
選手自身の強い気持ち、あとは支えるチームがなければ勝つことができないものです。
※明日「大坂なおみの元コーチが見る、日本テニス界の未来」に続く。
(取材:上田裕、構成:小谷紘友、撮影:鈴木大喜、デザイン:松嶋こよみ)