なぜ旧約聖書には、「神が人間を作った」と書かれているのか
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この記事を読んでいて生意気ながら本当に共感しました。
現在、学問の分野は細分化され各々が各々でとても狭い範囲の研究を行っています。しかし何かの発見や発明は他の分野や事象に着想を得ることも多く、ニュートンも月とりんごの動きを近似して考えました、また今年から卓越大学院プログラムも始動しこのプログラムも他分野の人々と交流する中に着想を得ていくということが一つの目的になっています。
このようにブレイクスルーは多分野の重なり合うブルーオーシャンの中にあると思います。
私も意識の勉強をし始めてからこれらを強く感じるようになりました。脳科学は学際的な分野で自然科学、人文社会学などという区別はありません。哲学、宗教学、神経科学、心理学、物理学、数学もどこかでつながっています。
例えばチベット仏僧や敬虔なカトリック教徒が深い祈りに入った時、脳内のDMN(Default mode network)というネットワークを使い、脳をアイドリングさせます。
そしてさらに深い祈りに入ると、脳内の空間的オリエンテーションを司る部分が停止し、あたかも自分が宇宙と一体となったように錯覚します。
しかし、これを主観的に体験している当の本人たちにはその錯覚が真実なのです。
もしかしたら宗教の根幹はその主観的な経験の中での言語化が難しい部分で成り立っているため現在の科学ではわからないだけなのかもしれません。
科学は実証科学なので、見切り発車である程度正しいと仮定して考えます。哲学は一つ一つその場で立ち止まって考えます。どちらが正しいのか?そもそも何をもって正しいというのか?そんなことは人間にはわかりえないパラドックスだと思います。
学問に対して自然科学だとか人文社会学だと言うように考えること自体人間考えなのかもしれません。
その自然科学と人文社会学の間を埋めるのが脳科学者の茂木健一郎先生が研究しているクオリアだと思います。
物質が存在していることと人間がそれを認識する間にどのような関係があるのか、そこに自然科学、人文社会学という二元論的な問いに解を出し、その間の溝を埋め古代ギリシャの時のような総合科学に戻るのではないかと思いました。
注目のコメント
2020年代のサイエンスの見通しを聞きに行ったら、想像を上回るスケールで話が展開しました。AIやら量子コンピューターやら、ふだんは目先の話題を追いかけるのに精一杯ですが、それらの先に何があるのかを考えながら、サイエンスに接することもまた非常に大事なことです。
松本理事長はメソポタミア文明の文献を読むために、シュメール語を勉強しようとしたこともあるそうで、その好奇心の幅広さ、純粋さに圧倒されました。「生命が長く生きていくために、個体の死の理由を調べる、あるいは死を防ぐためにどんなメカニズムが必要か。
免疫を強化したらずっと生きられるのか、死なないのか、死ねないのか。」
ここで言う”生命”とは、個体を指していないという文脈に、気が留まりました。
この分野の研究が進み、個体は全体の1つであるという考えが有形無形で浸透し始めているから、シェアリングエコノミーとかが台頭してくるのかなぁと。
誰かの利益をインセンティブとして資本主義が成り立つとしたら、その誰かが全体になった時、資本主義は成立しえないですよね。
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神の存在を信じていますか。
信じる。宗教では、神様が生き物を全部作ったいうことになっているけれど、その通りだと思う。勝手にできるわけがないからね。
ところが、「進化論」が登場してから、自然の、偶然の賜物(たまもの)で生命ができて、環境の中で少しずつ変わっていって、高等生物になっていったと考えられるようになった。
どこかで類人猿と分かれて、人類が発生したとね。
でも、本当かな。やっぱり科学者は、素直に原点に立ち戻って考えなければいけないと僕は思う。
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ファクトを積み上げる科学者の思考ですね。
良いとか悪いとか、批評するとか、そのような感じではなく、素直にとても興味深く拝見いたしました。「心」が見つからない。感情と脳の研究は進んでいるけれど。そして「神」の存在も。
「神」と「人類」の関係。地球上で実は繰り返されていることなのかもしれません。人類が超高度化した時に、地球は大地殻変動をおこし、生物をゼロセットする。
その際脱出した一部の人類「神」が、地球に帰還し、新たな人類を生み出す。なんてことが、繰り返されているかも。
ゾクゾクします。