【阪神】崖っぷちから這い上がった「虎」の矢野流改革

2019/12/23
2019年スポーツ界にあった「復活」の真相。今回は、矢野新監督が指揮を執り、昨年の最下位からCSファイナルステージ出場まで躍進した阪神タイガースの軌跡。なぜタイガースは復活できたのか。最終盤の「“奇跡”の10日間」にあったもの。

最下位から躍進させた新人監督の手腕

 完全な力負けだった。10月13日のCSファイナルステージ第4戦。
 岡本和真の豪快アーチ、丸佳浩の奇襲バント攻撃……。大技も小技も繰り出してくる敵が、一枚も二枚も上手だった。
 東京ドームには、巨人ファンの凱歌が響き渡った。
 ポストシーズン進出に導いた矢野燿大監督は冷静に振り返る。
「現在地が分かったからね。どうやったら強いジャイアンツを倒せるのか」。
 まだ発展途上のチームだ。攻撃力も守備力も上位と歴然たる差がある。
 しかも昨年はボロボロの最下位だった。今年から指揮を執る新人指揮官がチームをどう立て直すか、その手腕は「結果」になってはっきり表れる。マネジメント力が問われる1年だった。
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 長丁場のシーズンは試行錯誤し、苦戦した期間の方が長かっただろう。だが、最後の最後にヤマ場が待っていた。レギュラーシーズンの最終盤は、流行語大賞を拝借するなら「ワンチーム」になっていく姿そのものだった。
 9月21日広島戦から30日中日戦まで、CS進出をかけた激闘の日々は、まさに「奇跡の10日間」で、矢野のやりたい野球が凝縮されていたと言っていい。

風前の灯火を救った2人のファイター

 生きるか死ぬか。こんなヒリヒリする、心臓が焼け付くような日々を迎えるなんて誰が想像しただろう。あの10日間が始まる前夜、9月19日ヤクルト戦は最悪の敗戦だった。
 先発・高橋遥人が抑えられず、打線は小川泰弘に完封され、サード・大山悠輔の悪送球エラーなど守れない。ワンサイドゲームで借金は5に増え、中日に抜かれて単独5位に転落。後に続く激闘の予兆などまるで感じられず、CSは風前の灯火だった。
 だが、矢野が〝魔法〟をかけた。
 負ければレギュラーシーズン敗退が決まる21日の広島戦も早々に追い込まれていた。相手先発は難敵のジョンソンだ。対戦前まで、今季3戦3敗。18イニングで1点しか奪えず、防御率0・50と完璧に抑えられていた。
 しかも、1回に菊池涼介の先制本塁打、2回にスクイズで加点され、序盤から2点のハンディキャップを背負った。
 打線はこの日も沈黙し、甲子園は何度もため息に包まれた。
 潮目が変わったのは6回だ。コントロールを乱したジョンソンが四球、2暴投で自滅し、追いついた。
 そして8回裏だ。
 無死二塁。好投していた先発の西勇輝に打順が巡ってきた。1点勝負の最終盤で先発投手の打席。セオリーは代打だろう。
 だが、矢野はそのまま西を打席に立たせた。送りバントのサインを出したがファーストフライで失敗に終わる。
 しかし、ここから奇跡が始まった。その直後、北條史也の左翼への決勝2ラン──。
 負ければシーズン終了の試合なのに、矢野は土壇場のチャンスでも先発投手を打席に送る。西に賭けていた。マウンドでも打席でも、闘志を全開にするタイプだ。この決断を、のちに、こう明かす。
 「西の姿を見て、野手がどう気持ちが変わってくれるか」
 西のファイトを、貧打で苦しむ野手陣への発奮材料にしたい。西が凡退した直後、本塁打を放った北條も、この日、2打数無安打と精彩を欠く木浪聖也に代わる途中出場。
 矢野は普段から北條を「いつもベンチでも一番、声を出している選手。気持ちの部分で(展開に)何か変わる要素がある」と評してきた。
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 先発・西の続投、北條の抜てき……。
 覇気があふれるファイターを大一番で重用する。
 その采配は、矢野が心を重視するタイプの指揮官であることを示す。
 現役時はキャッチャーで、阪神の03、05年優勝に貢献した。常に冷静沈着だった。司令塔らしく理論派の監督なのかと思いきや、選手にシーズン通して求めたのは「楽しもう」という精神面の改革だった。
 シーズン中は何度も満面の笑みでガッツポーズ。かつての名捕手は、あえて喜怒哀楽をあらわにして、遠慮がちな若い選手が多いベンチの雰囲気を率先してつくった。

「奇跡の10日間」の真因

 「心技体のなかで絶対に『心』。ハート、メンタルだよね。技術を教えることもすごく大事だけど、俺のなかで一番はそこ」
 昨季は2軍監督で日本一に輝いた。若手と接するなかで、この考え方に行き着いたという。ファームでくすぶっていた北條は指揮官の思いを体現した1人だ。
 矢野には印象に残る一戦がある。ある2軍戦で3三振した後の振る舞いだ。ベンチで声を出し、味方を鼓舞した。悔しさをあらわに遊撃の守備に全力疾走で向かった。
 「調子が悪いときは声出せって言われても、めっちゃしんどい。でも自分でスイッチを入れ替えて、いまのままじゃあかんって気づいて『さあ行けっ!』って声を出したら、気持ちは前に向く。悪い方に引きずられても、ちょっと抜けられる」
 指導者として、失敗した後の北條の姿を見ていた。矢野は本人にこう話しかけた。
「3三振したけど、あの後『クソーッ』と言いながらショートまで守りに行った姿勢な。うまくなる方向にいくと思う」
 逆境でも前を向いて、あきらめずに戦い抜く資質を見抜いていた。そのメンタリティーが土壇場で生きた。
 まさに阪神にとって想像を絶する10日間だった。

「誰かのために」プレーする強さ

 プロ同士のしのぎ合いだ。普通なら1試合くらい負けてもおかしくない。そんなタイトロープをなぜ渡りきれたのだろう。
 28日のDeNA戦でも、矢野は選手たちの心を動かそうとしていた。横浜スタジアムでの試合前ミーティング。指揮官は、ナインの輪に進み出て、こう伝えていた。
 「横田は、あきらめない気持ちが、ああいうプレーになった。俺らも最後まであきらめないでやろう」
 その2日前だった。1軍戦がなかった26日は脳腫瘍から復活を期しながら、今季限りでユニホームを脱ぐ横田慎太郎の引退試合だった。
 ナインは甲子園で練習後、ユニホームで鳴尾浜球場に駆けつけていた。横田は8回に中堅守備で途中出場。中前打を捕ると矢のような本塁送球で二塁走者を刺した。
 セレモニーで花束を渡した矢野は報道陣に囲まれると声を詰まらせた。正捕手の梅野隆太郎も、一緒に2軍で白球を追った中谷将大も、弟のようにかわいがっていた高山俊も、みんな泣いていた。ベテランの福留孝介、鳥谷敬も姿を見せた。仲間の誰もが心を震わせる光景だった。
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 志半ばでグラウンドを去る横田の思いは、崖っぷちのハマスタで力に変わる。序盤は両軍無得点。4回に難攻不落のDeNA・今永昇太を攻略した。
 口火を切ったのは中谷だった。センター前に決勝の2点タイムリーヒット。思いを白球にぶつけた。猛攻で一方的な展開に持ち込んだ。今年、矢野が選手に何度も言ってきたことがある。
 「俺ら、プロ野球って自分のためにまずやっているけど、自分だけのものでは苦しいときに逃げたり、自分が金を稼ぐためだけにやってしまうとしんどい。例えば(新婚の)青柳やったら、嫁さんを幸せにするとか、周りをみんな喜ばせたいって。誰かのためにと思えばもっとパワーが出る」
 試練の10日間、阪神ナインには目に見えない力が働いていた。29日中日戦はランディ・メッセンジャーの引退試合。活躍した梅野が「恩返し」と言えば、高山も「メッセのために」と振り返った。
 30日中日戦は鳥谷敬のタテジマラストゲームで救援投手の高橋聡文も現役最終マウンドだった。この秋は「○○のために」の思いに何度もかき立てられた。
 奮起する戦いが息つく間もなく訪れたのも勝ち抜けた大きな要因だ。矢野は2軍監督のころから「誰かを喜ばせる」ことを唱え続けた。「無私の心」を体現する。ナインが背負ってきたものが絶望的な日々を勝ち抜く原動力になった。

窮余の策がハマった理由

 もう1つ、矢野は冷静に戦況を見極め、ある決断を下していた。この土壇場で先発のオネルキ・ガルシアをリリーフ要員に配置転換させたのだ。
 実は、窮余の策だった。
 今季の阪神のリリーフ陣は12球団トップの実力を誇る。
 抑えの藤川球児は16セーブで防御率1・77、ピアース・ジョンソンは58試合登板で防御率1・38と抜群の内容だ。その他の救援投手もラファエル・ドリスや岩崎優、島本浩也ら多彩な陣容だが、シーズン終盤、非常事態に陥っていた。
 ジョンソンが9月中旬以降、体調不良で投げられない状態になった。
 もしガルシアがセットアッパーで投げていなければ、CSへの道は途絶えていたかもしれない。ブルペン陣を預かる投手コーチの金村暁も「ラッキーボーイ的な存在になりましたよね」と振り返る。
 昨季在籍した中日で3試合に救援登板したが、阪神では初めてだった。今年は救援に回る前まで18試合で3勝8敗、防御率4・98。先発で精彩を欠いていた。
 だが、リリーフで鮮やかな変わり身を示した。22日DeNA戦は無失点と力投する先発望月惇志から4回途中で継投に入り、ガルシアを投入。24日巨人戦も5回から2イニング無失点の好救援。29日中日戦は3回から登板で3イニング零封。大車輪の働きでCS進出に貢献した。
 実は、9月に入ると、矢野はガルシアの起用法を金村に相談していた。
 「中継ぎはどうやろう」
 金村は「その方がいいと思います。タフだし、毎日でも投げる力がある。賛成です」と即答。思惑は一致していた。2つの理由があった。金村は説明する。
 「最後は先発に打席が回っても、すぐに代わっていました。確実にロングリリーフが必要でしたから。それと、ガルシアは1年間を通して見て(打者)3巡目につかまる傾向がありました」

不調の助っ人を蘇らせたマジック

 負ければ終戦の阪神が最優先して採った作戦は、序盤の大量失点を防ぐこと。
 致命傷を避けるために、通常よりも早く継投に入ることで救援陣が登板過多に陥る恐れもあるが、長いイニングを投げられるガルシアを救援で投入すれば負担を分散できる。
 戦局を先読みし、継投の戦略を練り直す。適材適所の配置だった。
 ガルシアがリリーフ登板で鬱屈した思いを払拭し、精神的なゆとりを取り戻すことができたのも大きかった。もともと明るい性格だが、6月2日広島戦で白星を挙げたのを最後に、約3カ月半も勝利から遠ざかっていた。
 頭髪を赤色に染め上げては、再び黒く染め直す。何かを変えずにはいられなかった。
 昨季、中日で13勝を挙げた実績があっても追い詰められていた。現役時、日本ハムのエースだった金村も「勝ちがつくことが一番の薬。精神的に落ち込むのが、目に見える。何かにすがりたくなる気持ちは分かる」と話した。
優勝候補筆頭だった広島がCSにすらいない理由
 先発での出番は次第に減る。金村が中継ぎ投手への配置転換を打診すると快諾した。「何でもやるよ!」と深くうなずいた。
 9月22日DeNA戦で白星が転がり込むと、24日巨人戦も勝利を重ねる。生気を取り戻した。29日中日戦は3回無失点。だが、54球も投げていた。
 その翌日だ。中日戦の前に金村が肩や肘への疲労を考慮して「今日は休もうか」と持ちかけると、ガルシアはこう答えた。「俺はいくよ!」。30日中日戦もベンチ入り。仲間とともに、CS進出をつかんだ。
 この6連勝中に、矢野がたびたび「ウチの強み」と評したように、ガルシアを配置転換させたことで、リリーフ陣の「命綱」は切れなかった。シーズン中の勝ちパターンにこだわらず、状況に応じて臨機応変に駒を動かす。瀬戸際での柔軟な思考がプラスに働いた。
 2年ぶりのCS進出を決めたが、矢野は手放しで喜ばなかった。「失策の数も多かったし、得点もなかなか取れなかった」と危機感を募らせていた。
 シーズンは69勝68敗6分けで3位。102失策は12球団最多で、538得点はリーグ最少だった。攻撃も守備も課題は山積みだ。ただ、この秋の戦いが、来季以降の糧になったのは間違いない。
 矢野は「ウチは現状はまだ、強いチームとは言えない。だからこそ、ねちっこく粘りっこく。内面が大事になる」と言い聞かせる。
 矢野が2軍を率いた昨季から掲げてきた3つのモットーが、図らずも、この10日間を戦い抜く指針になっていた。超積極的、あきらめない、誰かを喜ばせる……。阪神が地道に取り組む「心の改革」は、新たな息吹となった。(敬称略)
*後編は12月27日(金)に公開します
(執筆:酒井俊作、編集:山田雄一朗、黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:Getty Images)