書籍『AI vs.教科書が読めない子どもたち』が示す、「読解力が低い人」は「認知できる世界の解像度が低い」という事実。
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私は開成高校出身ですが、安藤先生という国語の先生がいました。
指導は非常に厳しく、毎日、新聞の社説の要約を作るのです。256文字以内。知らない言葉はもちろん、調べなくてはなりません。インターネットがなかった時代で、調べるのは大変でした。
今となってみれば、それが役にたっているような気がします。
言葉には、厳密な定義があります。言葉を知らなければ、読解もへったくりもないでしょう。ここに例をあげてある ”愛称” の意味がわからなければ、解答もできません。
単語を知らないことが、読解力低下の最大の原因ではないかという気がしてきました。”愛称” の意味を知っていれば、読解するまでもなく、正解が書けたと思います。以下引用。
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・巷で言われている「AI」は実際にはその実現過程で生まれた「AI技術」と呼ぶべきものであり、本来志向された意味での「人工知能」と呼ぶにははるかに足りない代物であること
・その技術の延長にシンギュラリティが訪れることも無いだろうこと
・そうであるにも関わらず、そのAI技術によって現在のホワイトカラー労働者の多くを代替しうること
・しかもそのオートメーションの波がこれまでの産業革命とは比較にならない速度で、わずか20年間に圧縮されて起こるだろう
という予測が示される。
そうであるならば、AI技術に代替されないための行動と施策を、となるのが当然の考えだ。
AI技術には実のところ3つのものしか扱うことができない。論理と統計と確率である。
何故ならばAI技術とは、極論すれば数式だからだ。
AI技術は数式により構築されドライヴされる機能の集合に過ぎない。
いくらGoogleの「AI」がYouTubeの無限の動画から猫画像だけを抽出してこようが、それっぽいバッハクローン曲を際限なく生成できようが、それらは計算結果でしかない。
ここで意味のやりとりは発生していない。「AI」は一切意味を理解していない(と、著者は言う)。
ここから、「「AI」に奪われず残る仕事」の共通点が導かれる。
著者の新井は、高度な読解力と常識、人間らしい柔軟な判断が要求される分野がそれである、とする。