【則本昂大】異例の7年契約。裏にある「成し遂げたい」野望

2019/12/25
「今日は100パーセント、何でもすべて話しますから」そう言って、清々しい表情で我々取材陣を迎えてくれた東北楽天ゴールデンイーグルスのエース・則本昂大。
入団1年目で15勝。センセーショナルなデビューを飾ったあと、昨シーズンまで5年連続で奪三振王のタイトルを獲得した「球界の顔」でもある。
ファンの多くが思っていた。「近い将来、海を渡る(メジャーへ行く)だろう」
しかしーー今シーズン、則本は楽天と7年20億(金額は推定)の大型契約を結ぶ。それは大きな話題となり、「メジャーへの思いを“封印”して挑戦を“断念”した」と報じられた。
今年7月のことだった。
はたして、それは本当に、“封印”であり、“断念”だったのか。
だとしたら、そこに後悔はないのか。
初めて故障で長期離脱した2019シーズンを振り返りつつ、その長期契約の背景や真意について、ロングインタビューに答えた。
1990年12月17日生まれ。滋賀県出身。八幡商高から三重中京大を経て2013年ドラフト2位で楽天入団。同年に15勝(8敗)を挙げ新人王に輝き、チームの日本一にも貢献。昨季はプロ野球新記録となる8試合連続2桁奪三振を達成。14年から5年連続で最多奪三振のタイトルを獲得。今シーズン途中、楽天と7年契約を結んだ。

7年目で初めての「離脱」

2019年2月、沖縄・久米島での春季キャンプ。則本は、これまで経験したことのない状態の良さを感じていた。
その順調さは、「かなりいいですよ」と自ら取材陣に漏らすほど。
前年まで、5年連続で奪三振王のタイトルを獲っている。今年も行ける──すでにそんな手ごたえすらあった。
しかしながら、3月11日、右肘関節鏡視下クリーニング手術を受けることになる。全治は4ヶ月と発表された。
「想定外でした。たしかに、一昨年くらいから『そろそろクリーニングしたほうがいいかも』という話はあったんですけど、昨年のオフに肘の可動域を確認して、まだステイ(温存)でいいという判断だった。今年に入って投げていてもすごくいい感じだったんです。でも、ある日投げていたら骨棘(こつきょく)がパチッと飛んでしまった。それで急きょ手術をすることになったんです」
クリーニング手術自体は、そこまでハードルの高いものではない。
しかし、則本はこれまでのプロ人生で、長期離脱を経験したことがなかった。
ルーキーイヤーから毎年のように開幕投手を務めた(唯一外れたのはWBCのあった2017年)が、故障により初めてその座を譲ることにもなった。
「もちろん嫌だったし、だいぶ凹みましたよ。でも手術をすると決めてからは、早く終えてリハビリして復帰しようとすぐ切り替えることができた。肘をどうしようか、手術するのがいいのか、ステイで注射を打って誤魔化しながらやるのがいいのか、と悩んでいたときのほうが、ストレスは大きかったです」
自分のいないチームは好調だった。
開幕戦こそ落としたが、翌日から5連勝。開幕ダッシュに成功し、一時は単独首位にも立った。
その輪の中にいなかった則本は、初めて客観的にチームを見るという経験をする。
「先発は5回、6回まで投げ切ってある程度試合を作れば、あとは野手が点を取ってくれる。そんな感じで、前半戦は特に野手が引っ張っていましたね。やはり浅村(栄斗)が来てくれたことは大きかったし、(ジャバリ・)ブラッシュの活躍もよかった。打線の核となる選手が2人いるのはすごく大きいこと。彼らに回せばなんとかなる、くらいの気持ちのほうが、ベストなパフォーマンスが出せることもありますから。
ピッチャーのほうも、1点2点は取られても大丈夫と割り切れるくらいが案外、良かったりします。そういう背景もあって、全体的に投打がうまく回っていたと思いますね。僕の目には王者の風格のある試合運びをしているように見えました。印象としては、一昨年に似た空気感。今年はいけるんじゃないか、と。だからこそ、僕もそこに早く戻りたいと感じました」
はやる気持ちを抑えきれない自分と、「焦らずに」と言い聞かせる自分。
初めて経験する葛藤と対峙する毎日の中で、チームメイトだった美馬学に「ゆっくりやりなよ」と、後輩の釜田佳直からは「急がば回れですよ」と声を掛けられ、なんとか気持ちを落ち着かせることができた。
「監督だった平石(洋介)さんも、指揮官という立場的には早く帰ってきてほしいと思っていたでしょうけど、『後半戦で帰ってきてくれたらいいから、焦らずゆっくり』と言ってくださった。
首脳陣やチームメイトがそういう言葉を掛けてくれたのは有り難かったです。トレーナーさんとも『今日はどこまでやっていいですか?』と綿密にコミュニケーションをとりました。自分が感じたことはすべて伝えたし、トレーナーさんのほうも、いいことも悪いことも包み隠さず率直に言ってくれて。チームメイトの励ましやトレーナーさんの支えがあったからこそ、自分が頭の中で描いていた通り、オールスター前に復帰できたとつくづく感じます」

「俺、1軍に戻ってきていいんかな」

復帰戦は7月9日のオリックス戦。負ければ球団ワーストタイの11連敗となり、チームは借金生活突入となる一戦だった。
則本は初球から149キロの伸びるストレートを見せ、離脱が嘘だったかのような投球でチームを勝利に導く。
お立ち台では「自分のいる場所はここだ」と安堵の笑顔を見せた。しかし、その言葉とは裏腹に、「俺、1軍に帰ってきていいんかな」という思いも抱いていた。
「僕や岸(孝之)さんが離脱したり、不調だったりする中、空いた枠に石橋(良太)が入って、実力でチャンスを掴んだ。もちろん監督やコーチが我慢して使っていた部分もあったかもしれないし、運もあったのかもしれないけど、そうやってほかの若い選手が成長してチームが勝っているのを目の当たりにして、結果を残している若手の登板を奪ってまで(1軍に)帰ってきてもいいのかなって。複雑な思いはありました」
離脱中、プロになって初めて2軍で3試合に登板した。
最初の実践登板は1軍の本拠地である楽天生命パークだったが、観客は数百人。投げたとき、ボールをキャッチしたとき、打たれたとき、球の音が球場中に響いた。
新鮮ではあったが、「寂しい」と感じた。
「だからこそ、満員の楽天生命パークの歓声がとても嬉しかったし、改めて有難いなと。復帰してみて、やっぱり1軍のマウンドが自分の居場所だなぁって感じました」
それだけ1軍は特別な場所なのである。
復帰戦2試合目のオリックス戦(7月16日、京セラドーム)では負け投手となったが、3試合目の西武戦(7月24日、楽天生命パーク)では2勝目を挙げた。
そして、4試合目となる7月31日の札幌ドームでの日本ハム戦。初回に両チームが1点ずつを取った後、試合はしばらく膠着。7回表に2点の援護を受けるが、その裏に逆転された。
チームはそのまま負けを喫し、則本に二つ目の黒星がつく。7回をしっかり抑えれば流れが一気に流れが来る──そんな大切なタイミングでの逆転だった。
「その前の登板、楽天生命パークの西武戦はいい形で試合を作れていたんですけど、雨でマウンドが少しぬかるんでいた中での投球だったこともあって、肘の張りが少し出ていたんです。
日本ハム戦は、投げられる状態ではあったんですけど、正直不安はありました。自分でも覚えているのが、あの辺りから、自分の感情の起伏がちょっと激しいというか、制御しきれない部分が出てきて。実はそれから1ヶ月くらいは、自分の中でも“難しい時期”だったんです」
マウンド上で、露骨に悔しそうな仕草を見せる。
見せないようにしないといけないと、自分でもわかっていた。
ただ、それをどう対処していいかわからない。そんな自分は初めてだった。
「あの日本ハム戦、めちゃくちゃイライラしていたのは覚えています。なんで俺こんなイライラしてんねやろなって客観的に思うくらい。どうしていいかわからなくて。栄養士さんに相談したら『ガムを噛んでみたら』って言われたんで、2回からガムを噛んで投げました。ガムを噛むことで心拍数が安定するんですよね。
それで少し落ち着いて。ガムを噛めば落ち着くという自己暗示もあったと思いますけどね。だけど、次のメットライフドームでの西武戦(8月7日)も、内容は良かったけどちょっとしたことですごくイライラしていた。そういうときは、だいたい点を取られるんですよ。今、冷静に振り返ると、その要因はやっぱり手術したこととか……自分でも気づかないうちに、いろんなプレッシャーを抱え込んでいたんだろうなと」

千賀滉大に受けた「160キロ」への刺激

5年連続最多奪三振や6年連続二桁勝利など、続いている記録を継続したい思いもあった。しかし、離脱していた前半戦では、戦友でもある福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大が、則本の代名詞とも言える奪三振を量産していた。
「アイツ、えげつない数の三振を取ってましたよね(笑)。すげぇなぁって思いながら見ていましたけど、逆に吹っ切れました。
記録っていつかは途切れるものだけど、続いているうちはやはりプレッシャーを感じます。そのプレッシャー自体は選手にとって幸せなものでもあるんですけど、一方で、そのプレッシャーがなければ余計なことは考えず、純粋に『この1試合』『この打者』と、目の前のことに全力で集中できるようになる。
そういう意味では、今は解放されてとても楽になりました。まぁ、千賀が奪三振王のタイトルを獲ったのは憎たらしいですけどね(笑)」
育成入団ながら、“日本のエース”とも呼ばれるまでに成長した千賀は、かねてから則本のことを尊敬し、このオフは合同自主トレを志願してきた。
「僕からしたら『俺になんでそんなに執着するの?』っていうか、もっと上を見ていいと思うし、アイツのほうが上を目指せるって純粋に思いますよ。もちろん、負けたくない気持ちはあります。それは誰に対しても。
だけど、この世界それだけでは生きていけないですから。冷静に考えれば、アイツは体も大きいし、ポテンシャルもずっと高い。あのフォークも、あの速い真っ直ぐも千賀しか投げられないですよ。だから、それだけの選手が僕のことを意識してくれているっていうのは素直に嬉しいです」
今年の開幕戦、千賀のストレートは初球、第2球と連続して161キロをマークした。それを見た則本は、「1年もつんかな?」と心で呟いた。
「試合の第1球目って、そんなにアクセルを踏めないものなんです。合わせに行くんですよ、普通は。それなのに、千賀はいきなりトップスピードからドンと入るでしょ。リミットないんじゃないかなって。でも、結局それで1年もったからすごい。
ただ、千賀があの数字を出したから、俺も行けるんちゃうかな、と思いますよね(笑)。復帰して、体が万全になったら来年(160キロが)出るかもなぁっていう想像がちょっとよぎりましたね。9月に入ってから体の状態や感覚もよくて、9月頭のヤフオクドームの試合で最速156キロも出ましたし。まぁでも、このくらいの歳になると年齢が二つ違うっていうのは結構大きいんで、(来年出せるかは)わからないですけど」
「来年は千賀からタイトルを奪回したい?」と問うと、「奪三振王はもう千賀でいいですよ」と笑う。
それよりも──と続け、「ホークスファンに怒られちゃうかもしれないけど……」と福岡のファンに気遣いを見せつつ、こう言った。
「それよりも、僕はホークスの前で胴上げがしたいです。しかも、千賀と僕が投げ合って。アイツの前で胴上げがしたい。やっぱり、それしかないでしょう」
※後編「僕が7年契約を結んだ全て」に続く
(取材・文:岡田真理、編集:黒田俊、デザイン:松嶋こよみ、写真:Getty)