どこまでが見守り?どこからが監視?急がれる「IoT社会」への慣れ
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介護のセンサーの場合は使う人(当事者)と話することが最低条件と思います。
そうしないセンサー使用はかなり監視に近いです。
認知症だから、意思の疎通ができないから、なんて言葉で、勝手に使ってしまう場面がありますが、まず本人に聞く。そしてその意思を理解する努力を精一杯する。
それでも難しい場合に当事者の気持ちをよく汲み取り、家族など近しい人にその人ならどう考えるかを聞いて、最後は当事者に説明してから使わせていただく。
介護の業界ではこういった考え方が大切だと思います。
注目のコメント
気づかない間に、あらゆるところに防犯カメラという名のもと、多くの監視カメラが設置されています。
渋谷ハロウィンのトラックを倒した犯人を監視カメラ経由で追跡した、というのをはじめ、犯罪解決に貢献しています。
それだけでなく、身近なスマホやパソコンに付属するカメラもセンサー的な働きを含め常に監視しているのと同じです。マルウェアが侵入していたら、それこそ誰かに監視されているかも、、(これは別な問題につながります
常に見られている可能性がある、
というのはあまり心地よいものでもありません。
別に悪いことしてなくとも。
しかし、不思議なことに、時間の経過で慣れてしまうのもまた事実。
見られている可能性という前提を踏まえながら、
時に回避行動をとったりスルー決め込むとか、
バランスよく付き合わざるを得ない時代。
ウェブの履歴データ公開による、
プライバシーと利便性のバランス問題に似てますね。IoTとは全てが繋がる世界。その結果、様々な物事の境目がなくなります。すなわち、このケースで言うと、どこまでが見守りでどこまでが監視かのその境目もありません。設置する側とモニタリングされる側の意識の観点だけです。
安全安心が担保されている時は何も言わないのに、そうでない事が少しでもあれば騒ぐ輩がいますが、往々にしてそんな輩の顔写真使ってもなんのビジネスにもならないプロファイルだったりします。
実利が別のところにあると分かっている人はそんな所で騒がないものですよ。慣れが必要です。介護も同じ。センサーの導入によって見える化される情報が変わりケアの質が高まったり、転倒、転落など検知した時にしか映らないものなどいろんな機器が出てきてるが、プライバシーの問題がハードルになるケースも。きちんとご本人やご家族への説明や話し合うことはとても大切だと思う。