天才になれなかった人がイノベーションを起こすために鍛えるべき能力
コメント
注目のコメント
野矢先生はトリビアルなことを説明しているだけなのに、コメント欄は多様なリアクションがあって驚く。(その殆どは私には理解不能だが)
まず、「天才」とは生まれつきの才能のことなので、そもそもなろうとしてなれるものじゃない。タイトルは「天才じゃない人が・・・」とすべきでしょう。
「論理的思考」と一般的に言われるものは、なんらかの結論を(時としてあと付けで、時としてかっこよく)"説得力"を持って説明するためにコンサル業界が使ってきたワーディング/フレームワークになんとなくつけられている名前、というくらいの意味でしかないので、本来的に「論理」とは関係ない(だからこそ「的」なんだろう)。ただの、野矢先生の無駄遣いである。
よく知られているように、説得力をもたせる為に、必ずしも論理もファクトも必要ない。必要なのは受け入れやすいストーリーとそれが与える印象でしかない。
論理学のような演繹推論になれることで、ビジネス上なにかが得られる気がしない。
いわゆる「創造的思考」と言われるもの(の殆ど)は、普通の人にとってリンクが少ない概念同士を繋げることで価値が発生することをシミュレーションする能力のことだと思うが、これは諸刃の剣で、アナロジーと関係性と因果関係がぐちゃぐちゃになりがち。
この能力を高めるには、一つには言葉の概念をできるだけゆるく捉えることだが、そうなると言葉の粒度が著しく下がるので、感覚でしか意思疎通ができなくなっていきがち。
もう一つはこれに矛盾するアプローチで、言葉の概念をより精緻に捉えること。そうすると、これまで捉えられなかった領域を意識化することが出来る。
両方に共通する作業は、ポエムや芸術作品を作ったり鑑賞すること、あるいは多言語を習得すること。あと意外かもしれないが、最先端科学や数学は創造的思考の権化のような世界。しかし、行き過ぎると妄想過剰になりがちの危険性をはらむ。
まだ研究途上だが、脳の神経細胞の間を埋めているグリア細胞の機能が発達している人の方が、そうした思考のジャンプに向いているのではないかと考えられている(盗まれたアインシュタインの脳を分析したらグリア細胞が通常の2倍あったという https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55411?page=3 )。
そうだとすると、創造的思考も先天的かw野矢茂樹先生のインタビュー。得てしてこうした記事はインタビューアー次第なので、野矢先生も大変ですね。
>『論理』って、じつはそれ自体は考えることじゃないんですよ。
>むしろ私は常日頃から『論理は考えないためにある』と言っています。
>論理(演繹)は飛躍を許さない一方で、思考は飛躍をめざす。
>これが冒頭に野矢さんが指摘した「論理的思考」という言葉の矛盾だ。
この辺りに野矢先生の言いたいことが表れているんではないでしょうか。
最近のコンサルタントの方の話を伺ったりすると、「えっ、つまんないんですけど。。」と心の中で思ってしまったりします。昔はこの程度で客先行けなかったはずなんですが。。社内でSo What繰り返してはいるでしょうが、トートロジーな理屈で乗り切ってるんでしょうね。働き方改革もあるし。。
つまり、考えるというのは、道無き道に新たな論理を見つけることだと思うので、既存の論理を疑わなきゃ始まらないのに、それを錦の御旗として天下りに使うからつまんないんだと思います。
これは博士論文書く人は、意識してることだと思います。理論的な貢献が無ければ博士論文にならないので、幾ら既知の理論に事例を当てはめ続けても新理論は降ってこないですからね。
そんなことはとっくに理解している野矢先生の真意は、この記事では伝わらないのかもしれません。創造的思考をしたからといって、ひらめくものではない。
考え抜く、人の理解を得るなど、発想の過程で必要なことを実践するためにも、論理的思考力は求められます。
創造的思考と論理的思考は二者択一ではありません。積み重ねを大切にする人が、飛躍するんですよ。