中曽根康弘元首相が死去 101歳
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大正から令和までを生き抜いた巨人。世代的に、中学の終わりごろから大学のはじめまで中曽根政権でしたので、昭和の歴代首相の中では最も印象に残っている政治家と言っていいかもしれません。「不沈空母」発言などもあって、ものものしいタカ派イメージがある一方で、海外で各国首脳と並んでも見劣りしない堂々たる姿勢にはあこがれも抱いていました。
政治記者になって本物の中曽根元首相の姿を目の当たりにしたとき、その長身から放たれるオーラに特別な重みを感じたものです。中曽根さんと真っ向勝負の憲法論争を展開した土井たか子さん、中曽根さんとは全く異なるリベラルな政治を追求した宮沢喜一さんもしかりでした。近づくだけでオーラを感じた大物政治家たちは、いずれも鬼籍に入られてしまいました。
ダイナミズムもなく、小粒化したいまの永田町、日本社会全体を見渡すと、時代の大きな変化をあらためて考えさせられます。そして、複雑な寂寥感がこみあげてきます。政治的な立場をそれぞれ代表しながら、意見をぶつけあい、最終的には異なる意見も採り入れて国家を動かしてきた先人たちの労苦と知恵に学び直したいと思います。合掌。初めて肉眼で見た総理大臣でした。公務員初任研修で話をされました。電電民営化・通信自由化の真っ最中でした。その後国鉄民営化に進みます。
政治というのはそれくらいダイナミックなものだと思ったのが社会人のスタートでした。しかしその後ぼくは、それを上回る案件にはほとんど立ち会わず、昭和と平成を過ごしました。
認可もおりたので、令和の若者へのメッセージをいただきたく、iU客員教授をお願いしようと思っていました。いまどき無礼な申し出をする若者だ、と聞き入れてくれるのではないかという下心で。---今後は中曽根さんの世界平和研究所に貢献したく存じます。
合掌。学生時代、一緒にラウンドさせていただきました。
もっとも印象に残っているのはプレーや食事の時ではなく、スタート前、クラブ置き場の辺りにティが落ちていたのを見つけ、もったいないと腰を曲げて拾われていた姿です。
総理がティを拾うのかと驚きました。
影響を受け、その後はティだけではなくボールマークやゴミも拾うようになりました。
心よりご冥福をお祈りします。