終末期医療啓発ポスター発送中止 厚労省、患者団体の批判受け
コメント
選択しているユーザー
厚労省で、「ACP」の大切さをどうやって知ってもらうかの普及啓発のあり方を考える審議会と、「ACP」=「人生会議」という愛称を決める選定委員会の委員をしていました。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02615.html
そこでかなり丁寧に、ACPとは、自分も家族もいざというときに後悔しないように、死が近づいてからではなく、病気になる前から家族でどう生きたいか、死にたいかを話し合っていく、そのプロセスが大切なんだと散々議論してきたはずなのに、だからこそ親しみやすい「人生会議」という愛称に決まったのに、いざアウトプットの段階になったときに審議会で話し合われてきた内容がくまれていないポスターが出てきて、その中身を知った時はすごくショックでした。
ポスターを見て、ご遺族の方々や、自分や家族が闘病中に見たらどれだけ辛いか、どれだけの人が悲しい思いをするか、想像に耐え難く、抗議した方々の気持ちが痛いほどわかりました。
審議会をしていた昨年までの厚労省の担当者が異動して新しい方々になったこともあるのか、これまで議論してきた委員にも何も知らされないまま、「人生会議」という愛称だけを捉えて普及啓発を吉本興業に事業委託してポスターができてしまったようです。
ちなみに、小藪さんも、愛称選定委員会の委員でしたが、小藪さんはおろか、吉本興業の方が議論にいらっしゃったことは一度もありませんでした。
出来上がったポスターには死のイメージが溢れすぎていて、これまでの議論をしっかり聞いていた人がポスター作りに一人でもきちんと参加していたらこうはならなかっただろうと、その過程も信じられませんでした。
事業委託して出てきたものに、担当者は誰も違和感を覚えなかったのかな、誰もノーと言えなかったのかな、と。
審議会後の過程を知らされていなくても、相談がなくてもその過程をもっとウォッチしておくべきだったという反省と共に、他の委員の先生とも、どうしたらいいのか、困り果てながら相談していたところだったので、多くの意見がきちんと届いてこの展開になって、ひとまずほっとしました。
ただ、今回の斬新なポスターで、ACPについて全く知らない方々には良くも悪くも知ってもらうきっかけになったこと、ACPとは何かを議論するきっかけになったことは前向きに捉えたいと思います。
注目のコメント
伝えているメッセージ自体はとても重要で、医療現場では今まさに起こり続けている課題であり、すぐにでも広く拡散しなければいけない内容です。
しかし、「死」や「終末期」がタブーにも近い文化や価値観のある日本では特に、優しくそっと取り出さなければならない壊れやすいものであったところを、粗雑に一気に開封して取り出してしまった印象があります。
そんな風にしては、大切なものが壊れてしまい、台無しになってしまいます。
終末期ケアに関する話し合いは、現状の日本では死の直前に大慌てで行っていることが多く、「今さら本人の意思が確認できない」「私たち家族には決められない」などといった立ち止まりや、急いで決めて誤った判断をしてしまい後悔、などといった状況が起こり続けています。
人間、死は避けられません。誰もが安心して、穏やかな最期を迎えられるように、それを普段から話し合う文化が広がると良い。その想いには私も賛同しますが、そもそもなぜそのような話し合いが日本では生まれないのかに目を向ければ、もう少し丁寧に優しく広げていく必要があったのではないでしょうか。これ、ダメなのです?分からん。
批判する人が存在することは分かるけども、、
全方位コンセンサス考えてたら何も出来ないよなぁ、と思う派。
父が意識不明で倒れたときも、ポスターと似たようなことも考えました。
つまり、私がマイノリティで違和感感じて無いだけなのか…
と言うことに加え、場の空気と異なることを述べるに勇気が要る日本は窮屈だと、改めて感じた記事でした。