「伝える」が、バズるに負けている。
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「伝えるがバズるに負けている」。刺さる見出し。
本当にそれを感じるし、その危機感は年々強くなる一方。
ビルコムを辞めた当時の理由の1つにもプロメディアの影響力がこのままでは無くなってしまうという危機感があったし、沈黙の螺旋理論が逆行してノイジーマイノリティに支配される世界がテーマの博士論文は未完成にしてしまっているけど、2011年当時は兆しでしか無かったものがどんどん顕著になってきている。
私はメディアの中の人ではないけど、その周辺にいるものとして、ずっと考え続けているテーマ。
竹下 隆一郎さんの取り組みを陰ながら全力応援!
#表現のこれから
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ネットメディアがまだまだやっていない宿題が多いのだ。いまは「バズる」コミュニケーションが目立つが、より「伝える」ためのコミュニケーションを作り出すことはできないか。小さな試みだが、ハフポストでは「#表現のこれから」という企画で以下の3点に取り組んでいる。京大の霊長類学者の山極先生曰く、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚の五感のすべてを通じてお互いの信頼関係を生むのだとか。SNSは視覚、聴覚のみの不安定な共同体だから、暴走しやすいのだろうか。
面白い分析です。
ここからわかった事。
1)バズるは表現でもなんでもなく単なる思いのはけ口。
表現とは雲泥の差。なぜなら「分からせよう、理解させよう」と言う知恵と工夫がないから。
一方で、表現には受け取る側にも発信する側にも一定の知能、知識、見識が必要であり多くの場合受け手を、明示的であるかないかに関わらず選んでいる。
2)ネットは自由かも知れないが決して民主的ではない。
民主的?そんなものは存在しない。これを民主的と言ってること自体がそもそもネットをわかってない。ネットは単なる混沌。
たまたま民主的に利用しようとしている人がいるだけです。
3)表現の自由は大切です。言論の自由も同じです。ただしどこでそれをやってもいいという自由まではない。
伝えるがバズるに負けているのかも知れませんが、伝えることとバズることは本質的に違う。表現のこれからというテーマは面白いと思います。発信と表現が違うように、一つ一つの言葉の定義を整理をしながらテーマが掘り下げられるといいと思いました。