「多様性ある職場づくり」は、人任せにせずに自分から
コメント
注目のコメント
企業研修で、ダイバーシティにおけるコーピングについて話す時に、事例としてオリンピックとパラリンピックの話をします。
オリンピックのさまざまなチーム競技で、一人一人が実力発揮するために必要なこととして「互いの違いを知ろう」ワークはやります。
企業で行うワークと類似したことです。
しかしパラリンピック競技では違います。
私は、パラリンピック車いすバスケットボールの男子日本代表チームのメンタルトレーナーをやってますが。
彼らは、違いを認め合うダイバーシティの理解は、、、当然のようにみんなわかっているわけで。
それぞれ身体が違う。機能する部分が違う。
明らかに、「見える部分で違う」。
片足だけがない人。
両足あるけど動かない人
脊髄損傷の場所によって使える場所が違う人々。。。
だからこそ、逆の発想である「みんな一緒」に苦労したりします。
「みんな違ってみんないい」は、健常者の世界ではとてもステキな言葉で私も好きな言葉ですが。(健常者って表現、好きではありませんが)
「みんな違うから、みんな一緒に」って感覚をパラリンピック競技でのチームワークでは、選手たちとともに努力中です。
このあたりの感覚。まだまだ勉強中です。
そもそも自分の出身競技はシンクロ。。。笑
引退後に心理学学び始めて、いろんなことが目からウロコだったものです。難しいです。よくゴッチャになる事。
「人種のるつぼ」と「サラダボウル」。
「人種のるつぼ」は全部一緒に入れて、グツグツ茹でで、溶けて、一つのスープを作る事。
均一化され、具材の個性は活きない。
「サラダボウル」は全部一緒の皿に入れるだけ。
茹でず、溶かさず、素材はそのままの形状で、味もそのまま。
混合で、具材の個性は活かす。
「みんな違ってみんないい」がサラダボウル。
ダイバーシティ、コンクルージョンってどっち?
僕はサラダボウルだと思う。
だから、職場やプロジェクトにいる人の男女比が5:5になって、色々な人種、世代が均等にいる職場を目指そう。
って、ダイバーシティやインクルージョンではないと思う。
その数字先行の考えがステレオタイプで、均一化されてる。
比率、パーセンテージは重要じゃない。
「女性少ない」から、「白人が多いから」って数字的理由は本質的じゃない。
男女、人種関係なく、平等に適切な評価をし、風通しをよくした結果。
男性、白人100%の職場になりました。
全然あっても良いと思う。
適性、経験の違い、「向き不向き」「一日の長」はあるから偏る職場、業種もまだ多いと思う。
何より、みんな違ってみんないいでしょ。
まず数字、短期的じゃなく、考え方の部分で、中長期的に取り組むべきだと思う。
時代は今急速にマルチカラーになってるし、みんな平等に適切な評価、風通しをしていけば、やがて少しずつ数字も最適化される。「ミーティングではちゃんと発言する」「適切な人に、適切な評価を与える」「チームのメンバー構成を見直す」「会社の上司や幹部に対して声を上げる」「リーダーとしての立場を良い方向に活かす」
多様性云々とはあまり関係ないような。普通に必要なこと。