小学生時に「読解力」の決定的な差が生じる理由
東洋経済オンライン
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注目のコメント
これも、文科省のキョウイクカイアクの一つの結果なのです。
例えば、学校でプロジェクターなんかで説明すると、簡単に生徒が理解してしまう事も、教科書を読んで理解するのは中々大変なのです。つまり、学校とは本来勉強の仕方を教わる所なのに、文科省はすぐ勉強の結果、つまりテストで何点取るかなにこだわるのです。全国学力テストなんかやってるのもその目的なのです。
だから、すぐプロジェクターを使えというわけです。その結果、教科書が読めない生徒というより、教科書を読まない生徒を作ってしまってるわけです。
またその結果、日本人は読書を嫌う民族になってしまって、江戸時代に優秀だった民族も、没落民族になってしまってるのです。
文科省のアホ官僚と今度の暴言大臣をなんとかせねばなりません。悩んでしまった。日本語が商売道具なのに。
「誰もが、誰かをねたんでいる」
「誰もが、誰かからねたまれている」
誰もが→みんな、とすると、
みんなが誰かをねたんでいる
みんなが誰かからねたまれている
では話が違う。
「誰かが、みんなからねたまれている」、
とすると、これも違和感あります。
これは誰かが、全員から同時にねたまれている状況をさすはず。「みんなが誰かをねたんでいる」の一部の例としては、当てはまりそうです。
うーむ。