【三浦瑠麗】「軍縮=平和」ではない。安全保障の本質を語る
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人々の命を守るための安全保障政策。
しかし日本では、「憲法9条の第2項をどうするか」「自衛隊は戦力か」といった抽象的な議論に留まりがちで、世界情勢をふまえた具体的な話に発展しづらく感じます。
そうした姿勢は、沖縄の人々や自衛隊員など、現状の安全保障の枠組みの中で、より重い負担がかかっている人々に対しても、誠実に向き合えていないのではないでしょうか。
私たちにできるのは学び続けて、思考停止をしないことだと思います。
そうした中、安全保障に関する数多くの問題提起をされている三浦さんに、敬意を表したいです。「核抑止が成立しているので、核大国間では戦争は起きにくい」
本当でしょうか?
1962年10月27日、キューバ危機の真っ最中、ソ連の潜水艦がアメリカの軍艦に対し核魚雷を発射寸前までいったことがありました。この潜水艦には、乗務していた3人の指揮官全員の同意があれば、モスクワに相談せずとも核を打つ権限が与えられていました。3人のうち2人は核攻撃に賛成。残る1人のVasily Arkhipovが反対したため、核魚雷は打たれませんでした。
1983年9月26日、ソ連の早期警戒システムが誤作動し、アメリカよりミサイルが飛来していると警告が出ました。マニュアル通りならばその時点で大陸間弾道ミサイルを発射しアメリカに核による全面報復をするはずでしたが、その時に司令所にいたStanislav Petrovの機転により、全面核戦争を免れました。
核抑止が働いている?僕はそうは思いません。今まで核戦争がなかったのは、運のおかげです。
来年、核戦争が勃発する可能性は0.1%かもしれません。もしそうでも、向こう100年で核戦争が起きる可能性は9.5%、向こう1000年では63%です。
もちろん今すぐ米軍や自衛隊をなくせば戦争が止まるわけではありませんから、短期的には軍縮=平和ではないでしょう。
でも長期的、大局的には軍縮=平和です。この方のアジェンダセッティングは本当に秀逸ですね。読み応えたっぷりでした。
外交・軍事面を中心とした国家の安全保障の議論は非常に複雑系であり、この手の多くの議論は前提となる情報やイシューが整理されておらず、空中戦になりがちですが、本記事ではその前提がとても分かりやすかったです。(※そもそもが複雑系なので「シンプルだ」とは言えないのですが。)
以下、記事のサマリ。
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【近年の世界情勢】
・アメリカはグローバル変革志向から自国志向へ、それゆえにアメリカ一強時代は終焉。
・国際法規範の充実と(核大国間による)核抑止成立ゆえ、新しい勢力均衡状態に。
・東アジアでは中国が経済成長とともに軍拡を進め、日本にとっても脅威に。
【日本の課題】
・日本は専守防衛に拘りつつ、軍事面ではアメリカ頼みの一本足打法。(※NATO諸国等は多国間で共同戦線を張れるが、日本はそうではない。)
・日本は「専守防衛」原則を見直しつつ、自律性を高めなければならない。
→専守防衛とは結局ザルな概念でしかなく、合理的な兵器体系の選択を妨げ、意思決定を遅らせるだけのコスパの悪いものでしかない。
→専守防衛をやめた方が、自衛官の命を守れる確率も上がる。
【補足:昨今の日本の改善点】
・安保法制により、共同交戦能力が高まる(=敵方から飛来するミサイルや航空機の位置情報をアメリカに共有することで、犠牲を減らすことができる)ようになった。
・防衛省設置法の改正によって、シビリアン・コントロールの在り方を他の先進諸国と同じレベルに近づけた。
→背広組と制服組(自衛隊)の意見バランスが取れるようになった。
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この記事では「皆が安全保障を他人事にせず、内省をしながら向き合うことの必要性」で締めくくられていますが、まさにその通りだと思います。
被爆国であることを全面に押し出す「戦争放棄主義」の方々は、ある種の「思考停止主義」でもあることが多く、とてもバランスの悪い極端な主張をしているケースが多いです。
世界情勢は変化し続けています。
外交も戦争も相手国があってのものですし、憲法改正・法整備・外交・軍事など、現実的にどういうオプションが取れるかを一国民としてもしっかり考え、議論し、試行錯誤して行きたいものです。