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「表現の自由」は “当たり前” じゃない。ニューヨークからあいちへ2度飛んで考えたこと。

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  • 関西学院大学ジェネラティビティ研究センター客員研究員  米Generativity Lab、Agentic LLCファウンダー

    読み応えある記事です。執筆された佐久間裕美子さんは、足を運んだ2度の鑑賞の中で、何度も「心を動かされた」という言葉を使っておいでですが、私はそんな佐久間さんに心を動かされました。

    「日本に生まれ、日本語を書くという生業に就いた一人の人間として、直視し、何を思うか、何ができるかを考える必要があるという思いに突き動かされた」とおっしゃっていますが、同じく海外在住で、外に出てしまった日本出身者である彼女の真摯な表現者としての思いは、深く敬服するばかりです。

    佐久間さんの言うように、私たちは分断の世を生きているのかもしれません。特にアメリカは今、思想の大分断が起こっており、相交われないと思えるほどの罵り合いも日々起こっています。しかし、そんな世だからこそ分断の根本として、相手の声を知る、知らないことを知るという姿勢は、崩すべきではないとも日々思います。私たちは真っ二つに分かれて罵り合う余裕がある時代に生きているのでしょうか? 誰かを傷つけるものは、永遠に蓋をし、見ないふりをすることが良いことなのでしょうか? この世に正解なんてものは、ないはずです。

    賛否両論あるアート展でしたが、この一連の出来事が私たちに投げかけた疑問符は、とても意味があったものだと思います。


  • Just Memorandum

    MEMO私が、アートとはなにか、と考えるときに、いつも思い出す、有名ギャラリストの言葉がある。

    「アーティストたちの仕事は、一般の人々が目を背けてしまうブラックホールを見つめて、感じたことを作品にすることだ」。

    その言葉を聞いて以来、私にとってのアートの存在意義は、人々を不安にしたり、不快にするような不都合なテーマに向き合い、そうした事象について、我々に考えさせ、問いかける表現行動になった。


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