「もう、やってられない」 中教審で現場教師の本音訴え
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本当に勇気ある行動と言葉。これが現実。
日本は、GDP比公教育支出がOECDで最も低く、先生の負担は最も高い国。
ゆとりある家庭は公教育をあてにせず、塾や習い事、私立学校にいかせ、ゆとりない家庭は疲弊しそうな公教育に頼るしかなく、先生や学校に期待してもみんな疲れ切っている。
先生に頼れない子どもたちは勉強ができなくても頼る先がなく、大人を嫌いになっていく。そして、勉強や社会への信頼感などの格差は広がっていく。
子どものまわりの大人が不幸な国は子どもも不幸になります。子どものまわりの大人が不幸そうだったら
子どもたちは一体誰をみて希望を見出せばいいのでしょう。
みんながもっと政治に関心を持ち、関わり、時には声を上げなければいけません。
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西橋校長は「本校は授業時間が週35時間なので、7時間目が終わるのは勤務時間終了前25分となる。その後に研修はできない。だから研修するためには、授業をカットするしかない。生徒が学ぶ内容は非常に多いので、本当は授業をカットしたくない。職員会議なども年間計画に組まれている」と続けた。
「本当に時間的には一杯一杯なのに、(残業時間を減らす)働き方改革をやれ、と言われる。そこに新しいことをやらなければならない。現場では『言っていることと、やっていることが、全く違うじゃないか』と思っているのが現実だ」
プログラミング教育を例にとり、「その現実の中で、横文字の新しい概念が次々と飛び出してくる。正直、意味がよくわからない。プログラミング教育と言われても、なんとなくイメージがあっても、実際にはよくわからない」と説明。
「何事も説明した側は『ちゃんと説明した』と言う。でも、それでどれぐらい伝わるのか。説明する側と受ける側が頭の中を一致させることは、かなり難しい。教師は生徒に教えるとき、『だいたい2割しか伝わらない』とよく言っている。『この前教えたのに、全然分かっていない』と話す」と述べ、一方的に方針を通知して終わってしまう文科省や教育委員会をちくりと皮肉った。
注目のコメント
思っていることを全部まとめて言ってくださったような内容。オーバーワークが前提で成り立っているような環境に対して、プログラミングだ、アダプティブラーニングだ、探究活動だ、eポートフォリオだ、ルーブリックだと、乗せられるだけ乗せておきながら、最後に「で、働き方改革、進んでる?」と聞かれているような状態。
その結果、上手くいかないことを現場(教員)の能力不足というような表現がなされていたりすると、さすがにカチンとくる。西橋先生がここまで言われた意図がしっかりと伝わっていることを願いたいです。政策の浸透や実施について大変示唆のある記事です。
政策決定まではあれやこれや議論がありマスコミも注目しますが、政策の実行フェーズになると、途端に現場に丸投げ。
これは日本だけでなく、世界共通の教育行政の構造的問題です。
現場で政策が良い形に実行されて初めて教育が変わります。いち民間企業として、現場の先生方をサポートしたいですし、文科省や教委の思いを叶えたいです。その繋ぎ役が公的機能としてかけているなら、民間が担うまでです。