「典型的で、最悪なケース」精神科医が法廷で語ったDVの“車輪構造”と児童虐待【目黒5歳児虐待死裁判・証人尋問①】
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注目のコメント
容疑者の心理についてかなり詳細な分析を加えています。
このレベルの探求心を持つ精神科が主治医だったら、彼女らは救われたかもしれません。
今回のケースは、経済的暴力以外の以下すべてが該当するという。
詳細は本文を読めば分かります。もっというと、これぐらいの記事ぐらい読んで理解できないと、周囲の人間が精神的DVと虐待を察知することはほぼ不可能だと考えた方がいいです。
「DVの車輪」
身体的暴力ー権力と支配
┗心理的暴力
┗経済的暴力
┗性的暴力
┗子どもを利用した暴力
┗強要・脅迫・威嚇
┗男性の特権を振りかざす
┗過小評価・否認・責任転嫁
┗社会的隔離
「DVのサイクル」
爆発期(暴力を振るうようになる)
↓
ハネムーン期(別人のように優しくなり反省する)
↓
緊張期(イライラしてすぐに機嫌が悪くなる)
↓
爆発期
…
ーーーーー
「私が思うにこれは、今まで、私が見て警鐘を鳴らしてきたDVと児童虐待の混合の典型的で、最悪なケースの一つだと思います。」
「やはりその、彼女の責任を考えたとき、私はずっと、子どもも大人も診る精神科医をしてきて、DVのシステムと虐待の支援システム両方の支援の連携を謳ってきたものですから、私がここに出廷しているということが困難なことなんですが、自分の責任を感じて出廷してます」
「私たちが、『助けてほしい』という言葉を、引き出すべきだったと。ですから、これは私は社会の責任だと思います」DV加害者がどのようにして相手を心理的支配下に置くかが手にとるように解る答弁です。
酷いショック(心の傷)を与えてその恐怖心をもとに相手を思い通りにコントロールしていく、 相手が自らの手で自傷するまで言葉で追い詰める『虐めの手法』。
「学習性無力感」の話もよく解ります。
DVの環境下にある方はいつも自分を否定されてきていて、非常に絶望しやすい。やっとのことで助けを求めた時に結局助けてもらえなかったという体験をすると、そこで無力感を学習してしまい「自分が悪いんだ」と諦めてしまう。
相手と離れがたいと思ってしまうような心理的な弱点を被害者が少しでも持っていたが最後、その隙を徹底して攻撃される。
この手の人物の「嗅覚」はすさまじいのです。
被害者は自分で自分を檻の中に入れてしまっている状態。
例えば恋愛感情が相手に残っているだけでも、それが自分を檻に入れる結果になる。
相手を追い込んでおきながら「俺は悪くない、お前のせいでこういう状況になってしまったんだ」という責任転嫁。 「お前」を矮小化し、徹底的に否認する。 繰り返される人格否定。
そしてその上に重なってゆく残虐な精神的DVによる 心のさらなる破壊。
こんなDV百貨店のような父親、夫でなくても、この中の1-2要素を内在させている人間て、そこらにいます。
こういう相手に取り憑かれたら、自分の「人間的優しさ」なんて弱点にしかならないのがキツイです。読むの結構きついな。今回のケースは児童虐待死なのでクローズアップされたがここに書かれているDVは大なり小なり経験ある人多いのではないかと思いました。私は親、先輩、上司から受けていた。
彼彼女らは言うわけですよね。
「あなたのためなんだ」と。当時は真面目に受け取ってしまい多くの悩みを抱えたが、これを本記事の内容に沿って言うなら「自分は悪くない。お前が悪い」と言いたいわけなんですよね、相手は。だから言われた方だけ悩むことになる。言った方は露ほども気にしない。また、機嫌のいい時に愛想振りまいて、こちらに配慮しているような素振りをみせる。ただし、それは稀なこと。だから余計に苦しい。飴と鞭。
そして、責められた側はその論理のおかしさを感じつつも自責に駆られながら、また相手を信じたいから努力しようとする、でも無駄なんですよね、一向に報われない。何故なら、彼彼女らが望むのは自分は悪くないということのみであり、それは私が改善することではないから。そういった支配の論理の中では何をしてもその帰結は支配しかない。それから逃れるための行為はその中では決して生まれない。そう、当人の防衛本能が壊れて相手の正体が見えてくるまでこの循環が続く。
こういうのは、組織や家族といった閉鎖空間ではどこでも起こり得る構造だと思うんですよね。今はそれをストレス耐性、努力、能力、生産性が足りない、といった言葉で誤魔化してるに過ぎない。全体の論理を個人に還元するのには一人間には限界があることを無視しているわけです。まさにイジメ。
長々書いたけど、児童虐待ということだけでなくDVや同じような状況で苦しんでる人たちに、手を差し伸べられる、それはおかしいんだと気づけるような、仕組みや社会的価値観が芽生えるといいな。
個人って本当に無力なんだよね。。。