他者に対する「共感力」を身につけるには
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「苦労は買ってでも、しろ」は、今の若い人には評判悪いようですね。『苦労を重ねることを抜きにして「共感力」は身につかない』が半分は正解で、半分間違ってるを直感で理解してる気がします。自分を社畜と感じていては、どんなに苦労して働いてみたところで、共感力はさほど育たないかと。
慣れない土地で、バックパック旅行して、助けてもらった経験は、共感力を高める素晴らしい経験となるはず。これを苦労と言わず、楽しい経験と捉える言葉の世代ギャップがあるんだと思います。
たぶん大事なのは苦労でなく、苦労?から生まれる悩みの克服。悩みとは他人から見たら、取るに足らないと感じるものですが、『経験を通じて、悩んだ種類の多さで「共感力」が身につく』がより正確な気がしますね。
様々な立場・役割を、若い時に経験する事で、
「多様な相手の悩む姿が、自分の姿のように思えること」が共感力の正体なのかと。自分自身ではそれなりに努力をして、時間も多く使ってきた自負はある。
一方で部下の様子を見てるとそこまででは無いと感じる為、部下への共感が一切できない自分がいる。
自身の経験が共感力に作用するのだとしたら、スタートラインを合わせる必要があるかも。記事より...
我々は、他者に対する「共感力」を、いかにすれば身につけられるのか?
その答えは...
「人生において、自身が、様々な苦労を重ねること」
そのことを抜きにして、我々は、「共感力」を身につけることはできない。
とのことです。
確かに苦労を重ねればそれだけ苦労している人の気持ちがわかると思います。
若い時の苦労は買ってでもしろ!というのも大切なことですね(^^)
自分なりにも「共感力」を身につけるために必要なことを考えてみました。
「共感力」というのは身につけるというよりも"発揮できる"という方が僕的にはしっくりきます。
認知症のある方とのコミュニケーション方法であるバリデーションというものを勉強していますが、真の共感とは、自分の感情を相手の感情に寄せていくことだといいます。
そして、相手の感情に共感をしていくためには、まず、自分の感情を捨てる事(センタリングという技術)が必要です。
自分の感情があると相手の感情に合わせていく事が難しくなるので、深呼吸など、自分なりの方法で一息つきながら自分の感情を無にするのです。
何年も前、僕が"共感力"を発揮できたと感じた体験があります。
仕事の帰り道、小道を歩いていると、前を歩きタバコをしている人が歩いており、タバコの臭いが不快だったことがあります。
歩く速さを早くして追い抜こうかと思ったのですが、ふと一息ついて、その人の視点に立ってみました。
きっと一日仕事をしてきて、やっと解放されて、人目のない小道なら...と、ダメだとわかっているけど歩きタバコをしてしまっているのだと想像してみました。
すると、先程までは不快に思っていたのですが、穏やかな気分になったので、追い抜くのではなく、自分が一本違う道を歩くことにしました。
もちろん歩きタバコをすることは良くないのですが、無理に追い抜いたり、相手に苦情を言っていればお互いに不快な気分になっていたと思います。
自分の不快な感情を、相手に共感することでコントロールできた例だと思います。
共感力を身につける(発揮できる)為にどうすれば良いのか?ということについて、僕なりの答えは、自分で感情をコントロールして、相手の視点になって考えるようになる。
あくまで個人的な意見です(^^)
追伸.
『ミクロの決死圏』という映画観てみたいです(^^)