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良いか/悪いか、適しているか/適してないかを考えるのは難しいけど、優しいか/優しくないかは、誰もが考えられることだと思う。
私のいるフィリピンにもたくさんの障害者がいますが、物質的には日本ほど恵まれていません。しかし、周りの目は優しいので、障害者が生きづらく感じることは日本より少ないかもしれません。
ハードの進歩も必要でしょうが、最後は周りの心だと思います。
下記2つの内容がとても重要だと日々感じます。
「障がい」ということでなんでも区分しなくても良いのではと思います。障がいでなくとも、大なり小なりみんな身体的・精神的にが必要なところはあるでしょうし、やたらと区別することで特別扱い、、を生むように思います。

いろんな人や価値観、考え方の人がいて、それぞれ個別にフォローが必要

フォローが必要な場合に求めやすく、みんなが気持ちよく応じる

そんな光景が言うは易しですが、理想です。


>障害でなくても、高齢者になって体に自由がきかなくなると、似たような状況になりますね。寿命が長くなるほどその確率も高くなりますから、他人事ではないと肝に銘じたいです。 >「多様な人が生きやすい社会を」といいながら、教育や福祉の仕組みを手厚くするほど健常者と障害者が分けられてしまう現状が、すごく残念です。
子どもが障害のある人と触れ合う機会が減っている--栗栖さんと同じ実感を持つ人は多いのではないでしょうか?東京は今でもすごく面白いですが、面白くて、優しい都市になれると最高です。
"障害のある人や移民"の彼らに対して、大体の人は自分と"違う"という見方を持ちがちだと思っています。
違うのは、実はすべての人同士に言えること。その人たちの個性なのです。自分も、違うと思えば、自然と寛容さが生まれてくるのではないでしょうか。
真の多様性は、共生だと思います。誰が強い弱い、でもなく。特に社会的弱者に対しての見方として、私たちは偏りを持ってしまうのではないでしょうか。
その偏りがある限りは、誰かが辛い思いをするかも。
世の中がよくなってると信じたい側の人間ですが、とはいえ障害者との区別が増えすぎて触れる機会が失われてるのはわかる気がします。そういった意味でパラリンピックの役割は大きい
「おもてなしの国」なら心のバリアフリーは簡単な筈。皮肉ではなく...