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【核心】日本人リーダーのスピーチは、世界で通用しない

NewsPicks編集部
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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    これはもう日本人が英語ができるかどうかとかそういった話ではなく、文化や社会、言語のあり方の問題です。西洋や中東では、古代から弁舌というのが指導者の必須の条件でした。日本は、西洋でいう意味での弁舌で社会が動かされた例はありません。
     竹下登氏や金丸信氏がそうであったように、日本で政治家などの指導者として求められる資質は、「空気を読んで」周りの人々に配慮することです。彼らが、大衆集会やテレビで雄弁を振るって世論をひっくり返したというようなことはありません。日本社会の人々もそんなことは求めていません。ヒトラーとかケネディ大統領のように、雄弁を武器にする政治家などいても、むしろ拒絶されるでしょう。
     日本人が外国人と英語でコミュニケーションするのが下手だというのも、英語教育の問題ではなく、そもそも文化と社会のあり方の違いです。インド人やアラブ人が間違いだらけの英語で、しかし派手な感情と身振りを交えた彼らの文化なりの雄弁で、欧米人を感動させるということはよくあります。日本人は、そもそも自分たちの社会にそのような文化は無いのですから、そういう社会に生きている限りは無理です。中国人は、まだ弁論の文化がそれなりにあり、毛沢東のような異様な言語的発信力を持つ人物も出てきます。
     この問題は、日本人が日本語で生きている限りは変わらないでしょうし、ずっと英語で生きてきて英語でなら雄弁になれる日本人がいても、日本社会では力を持てないでしょう。


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    埼玉大学経済経営系大学院 准教授

    1970年代や1980年代の日本を見てきたエズラ・ヴォーゲルからすると、過去の日本は、世界に向けて、言葉だけでなく、製品という形を通じてメッセージを発してきた国であったということを知っているだろう。それが今日の日本では失われているというのは、たしかにそのとおりだと思う。
    もう一度、我々は何を世界に向けて語りかけることができるか、考え直すときであろう。
    しかし、忘れてはならないのは、1970年代に日本人は世界にちゃんと打って出たということだ。過去を拭い去ったり、否定したりするよりも、あの頃に何を私たちはやっていたのか、どうでもいいものは捨て去っても、大切なものをもう一度見直すときではないかと思うのだ。


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    NCB Lab. 代表

    日本人のスピーチは世界から見ると異質ということです。男性のスピーチでも、時にか弱く、可愛らしく感じることも。もっと学ぶことが大切ですね。


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