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「エビデンスで殴る」というやり方は、なぜうまくいかないのか

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  • 早稲田大学客員教授、グロービス経営大学院教員

    エビデンスは、感情だけで他人を攻撃する反省から出来てた概念で、欧米では日本より受け入れられやすい。しかし、人間はさほど単純な生き物ではない。日本でも、欧米でも、エビデンスで攻める場合でも感情的な繋がりが無ければ事は進まず、感情だけで攻めてもエビデンスが無ければ説得性に欠ける。双方のバランスがあって初めて物事は、気持ちよく動く。


注目のコメント

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    マウントサイナイ大学 アシスタントプロフェッサー

    この記事で語られている「エビデンス」のやり取りは一般のそれよりも、より高レベルの議論ではないかと感じます。一般メディアで繰り広げられるやり取りはそのレベルがだいぶ異なり、記事の論考に馴染むレベルにすら達していないのではないでしょうか。

    医療記事でもよくエビデンスについて語られていますが、一口に「エビデンス」と言ってもそこにはレベルがあって、どのレベルのエビデンスについて語っているのかをまずよく見極める必要があります。また、議論にエビデンスを用いる際には、そのエビデンスの批判的吟味と外挿性の確認が必須です。その上で、用いるのが妥当なのか、用いるとしたらどの程度の妥当性なのかをあらかじめ心得ておく必要があります。

    記事中の議論は、互いにエビデンスの批判的吟味や外挿性については承知の上での議論ですが、多くのメディアの論考はそれ以前の問題で、適当な論文を引っ張って「ここにエビデンスがある」と語るものが多く、私はそれこそが「エビデンスを用いた暴力」のように感じます。

    この場合、本記事の議論以前の問題だと思いますし、多くのメディアの論考は残念ながらそのレベルにしかないと思います。


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    埼玉大学経済経営系大学院 准教授

    ナラティヴ・メディスンの第一人者である斎藤清二先生による、医療を巡る、エビデンスに基づいた医療(EBM)とエビデンスで相手を殴ることの違いについての考察。
    医療に限った話でなく、エビデンスがあれば正しい答えがわかり、不確実性が排除できる、という考え方の限界を理解する上で極めて有用な文章だと思う。

    「EBMを理解しているものは、エビデンスによって医療の不確実性が一掃されるとは決して考えていない。」

    という点が重要で、エビデンスがあることは、あくまでも患者の意思決定を支援し、よりよい医療を具現化するための実践の一つである、ということだ。エビデンスだけで何かうまくいくなどありえない。よい実践者はそれを知っている。

    医療に限らず、ビジネスの場面でも、何か物事を実践しようとした場合、エビデンスがあれば物事が進むわけでもないし、それを示して納得してくれない相手が馬鹿なわけでもない。相手には相手なりのナラティヴがあり、そこには溝がつきものなのだ。

    こうした溝に直面した際に、エビデンスを理解しない人間が、いい加減なことを言うな、というような理解を推進する言動は様々な場面で見られるが、ここで述べられているように、厳密な科学を実践する際にも、エビデンスと(エビデンスを元にした医療)実践というものの間には大きな隔たりがある。

    このことを理解していることは、実践的に仕事をする上で、極めて有用だろう。


  • 作業療法士

    一医療者としての意見ですが、エビデンスというものは良質な結果を出すための最低限であって、全てではありません。
    エビデンスというのはある一定の介入(暴露)により一定の対象者に対して一定の結果が出たケースを一定数集めて、それらに対して統計的な処理をかけて規則性を見いだし確立するものです。
    その為、結果を出せる介入でもサンプルサイズが小さかったり規則性が見いだせないとエビデンスとしては確立できづらくなります。
    エビデンスとして確立されていなくとも結果の出る介入方法はたくさんあるので、エビデンスを語るときには要注意です。
    しかし医療者の中にはエビデンスを無視して自分の経験則でしか判断しない医者やコメディカルもたくさんいるので、そういう人は更に要注意です。


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