「高学歴が高給のために就く職業」が パワーを持ちすぎた結果、起きたこと
コメント
選択しているユーザー
うーむ。。サイエンスとアートの連携を促進するのであれば共感するのですが、元々いらしたサイエンス側を一方的にディスり、アート側におもねるようなスタンスは、むしろ分断を深めてしまうのではないかと危惧しています。
サイエンス側も謙虚にアートを学び、アート側も謙虚にサイエンスを学ぶことで連携は深まり、新しい価値を作っていけるんじゃないかと自分は考えています。
サイエンス側だった元官僚が、政権批判や非科学な方向に振り切ったスタンスを取られることと似ています。元サイエンス側という属性が非科学的な主張にも権威付けをしてしまい、連携でなく分断を促してしまう。
注目のコメント
筆者の論点は分かりやすいですが、実際に起きていることは、顧客層のニッチ化、テクノロジーの日進月歩の成長、環境の劇的変化などにいかに素早く課題解決し続けるかなのだと思います。
正解の受け入れゾーンや継続できる期間がぎゅっと縮まっている今、課題解決が必要ないのではなく、常に新たな課題解決へとチューニングできるアジリティを鍛えることが大切なのかと。変化に対応できないのが一番の危険性なのかと。さして目新しいことのない論考だが、圧倒的多数の高学歴でない人(読者)にウケるように、上手に配慮された記事。
たとえ中身がなくても、今風の事例も交えてわかりやすく、程良く小難しそうに語るのがポイントかと。わざわざ不便さを買う人が増えてるって本当ですかね?
「グローバルな日本人が、モノを増やすのではなく、減らすことで世界的に高い評価を得ている」という記述と矛盾すると思いますが。
薪ストーブは場所とるから、エアコンのみの方がモノは少なく済みますし。
それと高学歴が高収入を求めるのは当たり前で、高学歴を得るには、お金がかかることが大半です。
それをペイするために高収入を得ないといけません。
問題を解決するモノや便利なモノは、平成から令和にかけてもたくさん出てきています。
これを昭和の価値観とするのも違和感があります。
なんだかしっくりこない記事です。