7. 知性の核心とは何か?「意味の理解」という脳の行為を考える
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注目のコメント
これがその前段の議論。出し惜しみなく語っていますが、全く話が飛び飛びになっていて到底正確には理解できないと思いますので(笑)、疑義のある方や、もっとちゃんと考えたい方は、もともとの論考をまとめた以下のハーバード・ビジネス・レビューでのarticlesをご覧頂ければです。Kindleでも読めます!
人工知能はビジネスをどう変えるか (DHBR 2015/11)
https://amazon.co.jp/dp/B079YHVSC1/
知性の核心は知覚にある (DHBR 2017/5)
https://amazon.co.jp/dp/B075YYJZ4F/安宅さんのこうした記事好きですね。最近、別記事にこんなこと書きました。
>ベルクソンの言葉で思わず膝を打ったことがあります。「もし知覚能力が物質と精神の両方向に際限なくひろがるならば、私たちは概念活動をする必要も推論をする必要もないでしょう。概念による思考は知覚が与えられていないときのやむを得ない手段です。(中略)どんなに抽象的な思考も、その出発点はつねに知覚です。(中略)純粋な観念を用いて実在を構築または補足する哲学は、知覚から取ってきて加工し、薄く細かくし、ついに抽象的一般的観念に変えたものを、私たちの具体的な知覚の全体に置き換えるか、あるいはそこに付加しているだけなのです。」
>つまり人間の感覚器官や知覚能力が高く、あらゆることをセンシングできれば、概念を打ち立てて推論する必要などなく、本質直観出来るということ。簡単に悟っちゃうんですね、感じる力が高い人は。