【日本軍兵士】我々は、日本軍の失敗から何を学ぶべきか
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同じように日本軍の振り返りをした「失敗の本質」という本も読んだ。この記事もそうだが、とにかく胸が痛い。いつの時代も、犠牲になるのは…。
▼失敗の本質
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この記事の中で、他力本願というのが1つの失敗の原因として挙げられている。
=========記事より======
アジア・太平洋戦争時の国家戦略の前提が「ドイツが勝つ」ということだったということも大きい。
ドイツがソ連に勝つ。そして、イギリスが戦意喪失して脱落し、アメリカ側の戦意にも影響を及ぼす。だから、その段階でアメリカと講和を結ぶ──。日本軍が描いた唯一のシナリオがそれでした。
つまり、そのシナリオからして、ドイツという他人頼みなのです。
=========引用終わり======
究極でいえば、シナリオの中に他力本願のものがあっても良いとは思う。勝敗は、自分要素だけではなく環境要素によっても決まるものだから。
ただ、シナリオが1つだけというのは圧倒的にまずい。
プランAがダメだった場合の、プランB、プランCは必ず必要。
そして、プランAがダメだと判断する場合の基準とデッドラインはいつなのかを、前もって決めておく。
プランAを見切るデッドラインは、プランBやCを導入しても、まだ間に合うタイミングということでおのずと決まる。
それにしても、胸が痛い。日露戦争の後、日本は国家の進路を見失っていました。明治以来、近代国家になってロシアを倒せば、独立を確保できる、と信じてやってきて、それを達成してしまいました。その後どうすればいいのか、そもそもプランが無かったので、議論がまとまらないまま1941年にまでなりました。
大きな対立項は、北進論と南進論でした。特に陸軍は、ロシアが共産化してソ連になったので、その侵略に備える、というのが主流でした。陸軍の中でも石原や永田のような「革新派」は中国を占領して資源を得ることで総力戦体制をつくると唱えました。変わり種では、石橋湛山の「小日本論」があり、日本は海外領土など不要である、資源は輸入して製造業で世界のトップになればいいという主張でした。
結局、日本の針路はまとまらないまま1939年に第二次世界大戦が始まってしまいました。日本はドイツが軍事同盟の手土産として提示した南部インドシナに進駐して資源を得ましたが、米国との対立が決定的になってしまいました。戦時中、日本がドイツのためにできたことはありました。ヒトラーは、米国は必ず参戦してくると見ていたので、その際、米海軍を日本にぶつけて削らせようと考えていました。もちろん、日本に得になる話ではありませんでした。
明治以来、日本がドイツに学んできたことは憲法から陸軍、医学まで非常に大きく、現在とは比較にならない影響力がありました。米国を見れば、もはや領土獲得競争の時代ではないことがわかったのですが、ドイツの「生存圏」構想に影響されて、「満蒙は日本の生命線」といった主張が流行りました。
プランのないまま始めてしまった戦争ですが、もはややめられるものではありませんでした。国家の年度予算の74倍もの戦時国債を発行していたからです。会社でいえば、年商の何百倍もの借金をして超巨大プロジェクトを始めてしまったようなものです。途中でやめても倒産は必至なので、怖くて誰もやめようとは言い出せません。これはドイツも米国も同じ状況でした。
プランも無しに無制限に予算を出し続けた結果です。これは陸軍だけではなく、海軍も、政党も、企業も予算を求め続けたのだから同罪です。国家の経済の合理的プランを立てられる人間が必要でしたが、そういう人間が非常に少なかったし、権力を持てる社会ではなかったのが根本原因です。そこに学ぶべきところがあります。我々は、過去の過ちに向き合う、ということを忘れてはいけませんーー『日本軍兵士』著者の吉田裕先生の言葉が耳にこだまします。
◎PDCAが回っていない≒失敗の検証がされない
◎フィードバックがない
◎他力本願
◎組織間の対立、メンツを巡る争い
などなど、今日の組織でもよく見られる現象が、痛ましい兵士の死を招いてしまったのかと思うと、胸を締め付けられる思いです。
終戦記念日の今日、日本軍の失敗に学ぶーー本稿がそのキッカケになれれば幸甚です。