テクノロジーごときを「神」と仰ぐ人間への疑問(東洋経済オンライン)
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テクノロジーで神と言えば、やはりエヴァ初号機でしょう。
旧約聖書でアダムとエヴァが知恵の実を食べ、楽園から追放されました。なぜ楽園から追放されたかというと、楽園にある生命の実も食べることを恐れたからです。なぜなら知恵の実と生命の実を食べると、神に等しき存在になるからです。
エヴァの世界では、最後のシーンである「まごころを、君に」で、S2機関搭載のエヴァシリーズが描いた生命の樹(セフィロトの樹)がロンギヌスの槍で樹木化し、エヴァ初号機と一体化しました。これにより使徒の持つ生命の実と、人の持つ生命の実、その二つを手に入れたエヴァ初号機は神と等しき存在になりました。
神に等しき存在となった、エヴァ初号機が定めた人類の未来は如何に?
次回、「まごころを、君に」
この次もぉ、サービスサービスぅ⤴️
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「世界の中心で、愛をさけぶ」が書かれているので、それ関連の豆知識。セカチューこと「世界の中心で、愛をさけぶ」は、元々「恋するソクラテス」というタイトルでした。しかしエヴァの最終話のタイトルを庵野秀明がハーランエリスンの小説
「世界の中心で愛を叫んだけもの」をもじって
「世界の中心でアイを叫んだけもの」にしたのを見て、
「世界の中心で、愛をさけぶ」としました。
エヴァのタイトルのアイは愛でありiでもある。「僕はここにいてもいいんだ!」と自分(i)の存在を叫ぶということである。そしてこの26話の英語版タイトルがまた味があって、「Take care of yourself」なんですよ。愛おしいですよね。
庵野秀明いわく、意味は「早く現実に帰れ」なのですがw
もうひとつちなみに、映画のまご君では最後の方のシーンに、映画館の観客席が映るシーンがあります。スクリーン側から撮った観客席。これの意図が「映画館までエヴァ観に来て、現実逃避なんてしているんじゃなくて、早く現実に帰れよ。ほら、これがお前らの今の姿だよ」みたいな感じなんじゃないかと言われています。信じるか信じないかは、あなたしだい。
ところで何の話でしたっけ?宗教について、一定のシステムを定義し倫理観を構築することで社会に秩序をもたらすもの、もしくは誰かが意図した世界を実現するためのものという捉え方をすれば、IT技術によって作られた世界はまさしくそうした宗教世界の一種であると言えるのではないですかね。そこで定義されているルールは絶対で、神です。神とは全く高尚なものではなく、昔からずっと誰かの意図を汲んだシステムのことを指していて、そこにつけられた名前でしかありません。
全部いま適当に考えたことなので真に受けないでください。記事自体は面白かったです。面白い!
「世界の中心で、愛をさけぶ」の著者、片山恭一さんの新著「世界の中心でAIをさけぶ」から一部を編集した記事とのこと。
現代のテクノロジーの進化で、人間らしさとは何か、
という問いは進む気がしますよね。
自分も、より人間らしく生きたい!