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貧しいのは本人のせい?エリートに広がる「自己責任論」、越えるには

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  • 一般社団法人Public Meets Innovation Co-Founder

    こうしたテーマを考えるとき常に思い出す話があります。

    自分の身内にとても対照的な兄弟がいます。
    かたや兄は東大法学部を優秀な成績で卒業し今は世界を飛び回っているビジネスマン、かたや弟は勉強に対する意欲がいつまでも湧かず、地元の(言い方が難しいですが)名前も聞いたことのない大学に入り、現在は就職浪人をしています。

    一方、小学生までさかのぼると成績は弟の方がはるかに優秀でした。では何があったのか。
    兄が変わったのは、中学生の時付き合っていた彼女の影響だったようです。中学生の頃から単身米国留学に出かけるほどの好奇心と行動力を持った彼女は、学問の面白さと世界の広さを彼に見せつけました。ただひたすら彼女に好かれようと努力した彼は、気がつけば彼女の背中を追いかけるあまり彼女と同じだけの視野の広さを手にし、自分の道を自分で開けるだけの能力を獲得していました。

    結局人の能力を開花させるかどうかなんて色んな要素が複雑に絡み合った結果であり、それを自己責任というのは私には単なる思考停止にしか思えません。
    努力できるかできないか、熱中できるかできないか、我慢できるかできないかも含めてすべて環境(私はシステムと呼んでいます)に原因があると考えて始めて次のステップが見えてくるのではないでしょうか。


  • 暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    貧しいのは本人の所業の責任であることもあれば、生まれ持った環境や肉体的、精神的状況によることもあります。
    同様に幸いにして相応の生活ができる状況にあったとしても、それは自分の能力と自己決定による所が大きい場合も、社会的環境や人の縁、更に運による所が大きいこともあります。
    要は人生の幸せや不幸せがいかに決まるかには、多くの要素があり、その複合であって、議論として100か0かで判断できる性格のものではないということです。

    しかし知識人というのは得てして二極対立の構図に単純化して、特定の方向に結論を誘導しようとしがちです。
    本稿でも、わざわざ自己責任論を唱えるのは「エリート」だとか「資本家層」と表現し、「貧困層」と対峙させることで、この問題を二極対立の構造に見立てています。
    この辺りはマルクス主義以来の知識人の悪い癖だと私は思っています。

    同様に本稿では一般企業の管理職も「新中間層」と呼び、「自己責任論」が広まっていると非難しています。
    具体的な統計数字が一切提示されていないので、そもそも本当に一般企業社員にまで自己責任論が広がっているのかどうかは判断がつきませんが、もしそうだと仮定するなら、それは本当に自己責任論なのでしょうか?
    私にはそれは人口が減り、貧しくなる傾向にある日本にあって、一生懸命毎日働いて頑張っているのに、社会の一員として以前と比べて明らかに過剰な「共同責任」を負わされ、今後ますます重い税や社会保険負担を負わされることが疑いのない勤労層の悲鳴のように聴こえます。

    社会を支えるために共同責任を負っている人達が疲弊しつつある現状。それをあたかも利己的な自己責任論の広まりとだけ論じるのは少々議論の底が浅いように私には思えるのです。
    国や社会に明るい未来が見えるなら、人間は今日の共同責任の負担に耐えることができます。そうなれば共同責任の重さに堪えかね自己責任論への逃避をはかる人たちも少なくなっていくに違いありません。
    社会を導くリーダーや知識人は、非難ばかりするのではなく、日本をそのような方向に導いていってほしいと私は願います。


  • とあるIT企業グループ ITエンジニア

    > 貧困は自己責任じゃない
    多くの場合その通りだと思う。
    この記事でエリートと表現している中間層の人間は、貧困層の実状を知らないので主観からそう発言ひているのではないでしょうか。

    自分は北海道の玉ねぎ畑の脇に、クリーニング工場で働く親に育てられましたが、たまたま、親が学業の大切さをしっており、家庭教師をつけ、大学は行けと、お金を出してくれ、たまたま、東京に出る機会があり、たまたま東京の会社に就職し、たまたま意識の高い同僚や先輩に出会い、自らが考え方や方向を決めるキッカケとなった。
    本当についていたなと思う。

    自分は環境に這い上がる術を教えてもらったと思っている。

    決してエリートでは無いけど、生活に困らないし、それなりに旅行に行けるし。

    なんか、書きなぐっただけになってしまったが、
    自己責任論は社会貢献と言う物を放棄していて、社会の繁栄と言う面で危険な思考と思う。

    これは追記だが、
    自己責任を自業自得と同じ意味で使っているのがすごく気になる。
    努力の先を認識しながら、疎かにしていてしっぺ返しを食らうのは自業自得だが、
    努力の先を認識しながら、努力せずに緩く過ごすか否かを選択をするのは自己責任で行う物である。

    選択に伴う結果を認識して選択肢を選ぶのは自己の責任から行うべき。
    悪方向に向かう事をわかっていながら、楽観的にそれを選んだ末に辿り着くのは自業自得。

    そう言う意味で、全ての人が自己責任により現状があると思うが、
    貧困かそうでないかの議論を自己責任と言う言葉で行ってもそこには本質はないと考える。


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