学年とクラスをなくせば不登校は激減する
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注目のコメント
年齢や学年、派閥といったカテゴライズがない小社会が日本には少な過ぎるんですね。
私は小学校以前から子ども会に入っていたので、幼稚園児の年長から上は高校生までいる場で、一緒に学ぶ環境がありました。
義務教育とは別の学びの環境が、周りにたくさんあるような社会になると良いなと思っています。たしかにシンガポールの多くのインター校は3歳から18歳まで一貫で4歳児と高校生がカフェテリアですれ違うことも多く、高校生も小さな子供に優しく声をかけてくれます。ダイバーシティがある方が違う境遇の人を理解することができますね。学校、オフィス、通勤電車など同じカテゴリーの人だけだと断絶が起きやすいです。
紋切り型の言い方になりますが、軍隊と工場と学校は、富国強兵のための近代の発明でありました。その目的をある程度達成したポスト近代のそのまた次の時代である今は、学校の役割もとっくに変質していると考えています。大衆社会は既に実現しました(一方に格差があるのも確かですが)。もはや一定水準の知識は教えてもらうものではなく、自ら学ぶものになっています。本記事にあるような個々人を基体とする能動的な学びの枠組みへの移行がむしろ自然な流れなのであって、却って旧時代の制度を墨守することの方が無理がある。
でもやはり時間が掛かりそうですが。
>大人が学ぶ姿を見ることは、子どもたちにとって大きな刺激になるはずです。子どもたちや保護者の多くは、先生が研修などで常に学び続けていることをあまり知りません。だったらなおさら、子どもたちの目に触れないところで研修を行うのではなく、むしろ子どもたちがプロジェクトに勤しむその隣で、先生たちもプロジェクトに打ち込んでいるなんていう姿があっても素敵じゃないかとわたしは思います(もちろん、学校では子どもたちの「探究支援者」であることが第一ですが)。