世界で稼ぐエリートが教養を学ぶ真の意味
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ハーバード大学時代、音楽という共通言語を使って4年間同じ校内オーケストラで演奏していた仲間たちは、今サンフランシスコでエンジニアをしたりNYでコンサルをしたりLAでコメディアンをしたり、と異分野で活躍しています。
個人的に一番刺激を受けるのは同業者との会話ではなく異分野の友人との情報交換。大学卒業後一番の財産となった「人脈」づくりの元となったのは、私の場合音楽でした。記事中にも絵画の例がありましたが、出身国に関係なく人と人を繋げる芸術の可能性は無限大だと思っています。教養は、学ばなくてはならないという義務感で勉強すると辛いもの。
これぞ教養の身につけ方、といういい例はデーモン閣下だと思います。お祖父様が相撲好きで、おじいちゃんとの共通の話題を持ちたくてひたすら勉強し、自分でも相撲をするようになってどんどんのめり込んだとのこと。それにより、相撲の奥深さに気づくことができ、NHKで相撲解説をするまでに至る。
デーモン閣下
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E9%96%A3%E4%B8%8B
「F1でスポンサーになることの意味」
については我々の分野でもそうです。最新の研究成果なんて高いお金と膨大な時間を使って学会に参加しなくてもPDFを読んだほうが効率よく得られます。それでも、何千人とかそれ以上の人たちが学会に集うのは人脈作り、古い人脈の維持や掘り起こし。また、最近は自分のための人脈づくりではなく、自分が間に入ることで形成される新しい人脈についても強く意識するようになりました。教養は知識を得るという側面もあるけれど、自分の価値観を養い、その価値観を元に他者とコミュニケーションするためにあると思います。オペラやアートもそりゃ知識はある程度ないと楽しめないけれど、楽しむために得る知識が必要なのであって、ただ詰め込んだ知識を持っていても何時もならないですね…