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【直言】渋沢栄一「論語と算盤」で読む、令和の“顔”になる秘密

NewsPicks編集部
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  • コモンズ投信株式会社 会長

    あまり注目されていないところですが、岩崎弥太郎と渋沢栄一は協力して事業を立ち上げている実績もあります。日本初の近代的保険会社である東京海上の設立が代表的です。

    それまでの日本に存在していなかったスタートアップベンチャーですから、信用力を高める必要がありました。よって、岩崎家の資本が入ることに栄一は歓迎していました。

    また、日本郵船は岩崎弥太郎が亡くなったタイミングの1885年に郵便汽船三菱会社と渋沢栄一と三井組の益田孝が競合として設立した会社らが合併した共同運輸会社の合併会社です。

    それから、これこそ、あまり知られていないのですが、渋沢栄一の長男直系の曾孫(渋沢栄一記念財団の現理事長)は、岩崎弥太郎の曾孫でもあるんです。(栄一の孫の敬三の妻は岩崎弥太郎の二女が嫁いだ木内家。でも、これは「戦略的」ではなく、恋愛結婚であったと聞いています。)


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    明治維新の原動力は、「尊王攘夷」というイデオロギーによってまず説明されがちですが、それと同等かそれ以上に、江戸時代に蓄積された経済的矛盾が限界に達したということがありました。上には幕藩体制という政治的にも経済的にも儒教的封建体制を理想とした武士=役人による規制と障壁に満ちた制度がありました。一方、下からは、農村、都市で農民、商人、職人による商品経済の浸透と流通網の発達が社会を変えていました。
     この経済的矛盾を近代国家の成立と世界経済へのアクセス開放で一気に解決しようとしたのが明治維新でした。この解決は、かたちだけヨーロッパの制度を模倣して外国の企業家たちの好きなように国内で商売させるだけでは、絶対に成功しないことでした。アジア、アフリカのほとんどの国は、かたちだけの制度の模倣と外国企業の横行によって、現在に至るまで停滞しました。
     経済的矛盾の解決のカギになるのは、日本社会に資本主義を制度的に根づかせ、世界経済に伍していける日本企業群をつくりだすことでした。その中で中心的な役割を担ったのは、農民・商人層と武士層の境界にいた渋沢栄一や岩崎弥太郎でした。岩崎は所詮土佐人であり、土佐藩の殿様の山内家から藩の資産と負債を丸投げされ、そこから三菱を起こした人でした。後藤象二郎ら土佐閥政治家と緊密な関係にあり、あくまで土佐・三菱を守っていく立場がありました。同じようは立ち位置の人に薩摩の五代友厚がいましたが、五代は後には大阪商工会議所や大阪のインフラ企業を設立し、大阪経済を広く興しました。
     渋沢栄一は、大政奉還後の徳川家の資産を整理する役目でしたが、徳川慶喜は渋沢を徳川家から解放しました。もともと薩長土肥の明治政府とズブズブの関係になるような立場ではありませんでした。渋沢は、日本社会に資本主義を根づかせるべく、数々の銀行や商工会議所、証券取引所、日本各地のインフラや素材生産の企業などを設立を斡旋していきました。麻生太郎副総理の曽祖父であり、明治時代の北九州で資本主義形成の要となった麻生炭鉱創業をはじめ電力や製鉄にもかかわった麻生太吉氏は、渋沢栄一とも少なからず縁のあった人です。



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