東大教授が「知っている」と「考える」、どちらが大切か教えます
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知っているから、考えられるというのはその通りですね。
確かに調べれば何でも情報が手に入るようになっているが、そもそも何をどう調べればいいのかすら知らなければ調べようがない。
学校教育にも触れてましたが、重要なことだと思います。
考えることを排して言われた通り、で発展してきてしまったために、教育する側も考えられない人が多い。
覚えることだけでなく、それを元に考察したり、何かに繋がっていく体験や喜びも得られるないと、勉強も意欲がわかないですよね。
やらされてるだけになるから。
注目のコメント
マーケティングも音楽もはたまた語学でも一緒で、「知っている」だけではなににも使えない。それを「使える」のでなければ本当に意味がない。「使える」というのは、マーケティングだったら有効な施策を立案実行できる事だし、音楽の鑑賞だったら、自分の価値観からくる意見を持てることだし、語学だったら喋ったり読んだり書いたりできる事だろうと思う。
「使える」ためには「考え、意味を解釈する」ということがないとダメで、そのためには「ある程度知っている」ことが大事だということだよな…と改めて思った。細かい知識は覚えている必要がないけれど、覚えていた方が深く考えることができる可能性が高いから知ることに意義がある。
キャプションを鑑賞しプロフィールを聴くような行為にはホント何の意味もないけれど、何の知識もなくただぼーっと聞いたり見たりしていても「考え」は深まりにくそうだし歓びも少し少なくなる気もする。
確かに「どうでもいい」知識と「意味がある」知識はその時その時で何を「考えたいか」で変わるだろう。使いながら知識を得ることで、「考える」深さも得られるのじゃないか?そんな事を考える記事だった。知っていることも考えることも、どちらも大切です。
知っていることの価値が極端に重んじられていることが問題です。
教育現場のテスト主義の弊害や組織における老害などは、その最たる例です。変化が緩やかであれば知っていることは価値でしたが、変化が激しいと知っていることが判断を邪魔します。考えること、思考力を伸ばすことの大切さを教えてくれるとてもいい記事です。
敢えて自分の意見として補足をさせていただくと、「考える」を発展させていくためには、「多様性を受け止める力」と「コミュニケーション力」も必要だという点です。
上記2つがあれば、「自分ひとりの考え」で止まっていたものを、他人の意見との差を通じて、自分の考えを広げて深めるきっかけにすることができます。
また、「他人」は同じ意見を言う人ではなく、違う意見を言う人の方が「考え」を昇華することができます。※そのためにも、多様性を受け止める力は大切です。
そういった意味では、「知っている⇒考える」に進むためには、「批判的」「創造的」「協働的」な思考の育成が求められるのだと思います。