「子供を小学生に通わせなくてもよい」と意見に対して、元教育者として言いたいことは山のようにある - この夜が明けるまであと百万の祈り
コメント
注目のコメント
一言で行かなくて良いとは言えないものなんです。
子供は10年もすれば、大人になります。
大人になれば、後の60年以上を1人で生きていかなくてはならないのです。
死ぬ日までは、たった1人でも生きていかなくてはならない…。
生有る物は、人間でなくてもそうなんです。
だから不登校になった子供や親や兄弟は、どうしようもない不安に苦しむんです。
この記事のように地域で支えてもらったり、家族が関係機関に相談に行ったり、小児精神科医の門を叩いたりするんです。
色々な手を尽くせば、幼ければ幼い分だけ、社会復帰は早いです。
でも、行かなくて良いと肯定してしまうと、社会復帰は本当に難しくなってしまいます。
「今は無理して行く必要はない、でもいつか行けるようになるから安心して。」と言って上げて欲しいです。
そして親御さんも同じ言葉を呪文のように自分に言い聞かせて下さい。教育現場を知っている人の投稿で、読んでおきたい。統計として、不登校の先にあるものへの対応についての議論であればまだしも、不登校の是非を問うようなものに意味がないことがよくわかる。
学校はどちらかと言えば行った方が良い。
それは学校に行った方が将来できることが増えやすいからです。
周りの大人はそのことが解っていて子どもは解っていないことがあるので、大人は真剣に子どもに伝える必要があります。
ただ、学校に行かない選択をしたからといって人生が終わる訳では当然ない。
その選択をする時に何が大切かと言うと、自分の人生を肯定することなのだと思っています。
「するべきことをしていない」、「人生を無駄にしている」という感情を不登校の場合持ちやすくて、それが足枷になって今の自分の最善を尽くすという方向に考えることができなくなってしまう。
記事内で引用されているアンケート結果でも、4割の人が不登校を後悔しているそうだけど、「棒に振った」という感情を抱いてしまうのは、学校に行かなかったからではなく、その期間で見合った成長ができなかったからのはずです。
私自身が不登校の経験者で、小学校の途中から学校に行きませんでした。
完全にドロップアウトした訳ではなくて、大学受験資格を独学で取ったりはしましたが。
私の場合も、学校に行くべきなのに行っていないという気持ちが常にあったせいで、随分遠回りをしてしまった気がします。
たとえば、私は大人になってから英語をきちんと勉強して覚えましたが、子どもの頃に自分にだってできるはずだと信じて取り組んでいればもっと早く覚えられたように思います。
今でも、子どもの頃学校に行っていればという気持ちと、学校に行かない自分を受け容れて自分自身の可能性をきちんと考えられたらどうなっていたかという気持ちの両方を持っています。
現代はインターネットの発展で、自分で学ぶことも遠くの人と繋がることもしやすい時代です。
全肯定はできないけれど、YouTuberだって生き方です。
正解は一つではないし、自分自身の考えだって変わっていって後悔する気持ちが湧くこともあればこれで良かったんだと思うこともあります。
この話題については今でも考えが上手くまとまらないのですが、経験者の自分が何かを書いた方が良い気がしたので書きます。
子どもが幸せに過ごせる社会になってほしいです。