「女子力」という言葉は、どんなふうに私たちを呪縛しているのか
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女子力が努力というなら「男子力」って言葉あればいいのに。
努力ということはスキルセットでなんとかなる領域。要はスキルセットに対して「女子力」というラベルを貼ってるだけの問題。
そしてラベル(言葉、単語)というものは、そのコトバを問題として扱うから問題になる。問題の解消というのはそのコトバ自体が生活から無くなることだ。もしくはそのコトバに付随する意味が変化すればいい。
だからコトバに敏感に反応して呪縛だなんだじゃなくて、スキルセットとしての意味に変わればいいと思うんだ。そうしたらジェンダー関係なく全ての人が生きる上での大切なスキルを身に着けるようになるのに。
注目のコメント
非常に危険な言葉だし、そろそろ死語じゃないですかね?
男性が外に出て活躍する社会における「優秀な女性像」の押し付けを、誰にもしたく無いなと思います。
ジェンダーは男女というふたつではありませんし、
どちらかのジェンダーが優れているとか、立派だということはない。
女性、男性、主婦、会社員、外国人など
主語を大きくせず一人ひとりにフォーカスを当ててコミュニケーションしていく新しい時代でありますように。「A型力」や「しし座力」「左利き力」と言われてもまったくピンとこない。女子力というのも本来はそれくらいピンとこないものであるはず。
でも、主に男性によって形成された既存の社会構造が変わっていないから、女性たちに「女子力」を要請してしまう。
女子力が新自由主義に繋がっていくのは、結局東京医大入試の女性差別など、社会の構造を温存したまま、女性にのみ一方的な「こうあってほしい」という欲求を押し付けているからではないか。記事にもあるような「もっと女性に働いて欲しい、ただし平等は怖い、家事や子育て介護もやってもらわないと困る、でも古臭いのは嫌」の傲慢さを、男性を自認しているすべての人が認識しないといけないと思う。
逆に、この構造を変えるために女性たちが主体的に掲げるスローガンとしての「女子力」は良いのではないかと思うし、そこで掲げられる「女子力」には「女性はこうあるべき」という押し付けはない。あとは合田さんがコメントしている通り、ジェンダーは男女ふたつではないという認識も同時に広がると良いな。アンケート結果を逆読みした方がいい。
女子力が高いと有利になると思われるものの1位は圧倒的に恋愛なわけでしょ?みんなが恋愛には女子力が必要だと認識しているわけで、だから女性が思う女子力の中身は「メイク」「服装」になるわけです。「家事」よりも。
恋愛したいからする努力を女子力と女性自身が思うのなら、それはそれでいいんじゃないの?いちいち目くじらたてるほどのもんですかね?
誤解あるようなので追記しますが、そもそも「女子力」という言葉は、1998年からの安野モヨコの同名漫画から始まったもので、彼女の主張は「女子は仕事できてもキレイじゃなければ駄目なんです!!」というものです。2009年には流行語大賞にもノミネートされている。
能町みね子は2011年に、「モテるためのふるまいをすることが『女子力を高める』ことです」と断言している。
女性によって作られた女性を指した女性のための言葉です。
一方、男に求められる努力は「経済力」一択ですけど?