「不登校は不幸じゃない」 10歳のユーチューバー 中村逞珂さん 世界に発信(琉球新報)
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この記事と繋げて考えてみたいと思います。
承認欲求についての話題。
https://newspicks.com/news/3877005/
不登校になる経験をした大人も、不登校の子がいる人も、まずは承認欲求を満たさなければ、次へ進めない大きな壁がある。
日本は狭い国土の中で、狭い了見を許す人も多い社会と思います。当たり障りない事を日常的に求められるけれど、「謎の常識」で縛ろうとする傾向があることを思い当たる方も多いのではないでしょうか。
大人になって、自分の属する狭い社会で認められると、過剰な承認欲求から脱却できるように思います。
それまでは呪縛の中にいて、ダメ出しされることに怯え、対抗するためには、大言壮語や他者の権威を借りて大きくあるように仕掛ける事で自己の存在を保つ。
みんな、ただの、唯一の、「私」だと言えたら楽なのに、比較する傾向が「承認欲求」を強めてしまう。
本来の承認欲求の発露は、利他的であり、役に立つ自分を確認することである。なのに、「褒められたい」と訳してしまったが故に変なマウントまで承認欲求の支配下に置かれている。
自分らしく生きて、幸せであればいいの。
美味しいもの食べて、よく眠る。
そんな当たり前の事を横に置いて、喜べない比較で論じ合うのは、もうやめませんか。
みんな生まれた奇跡を生きてて、世の中を良くするために生きている。
ちっさいことを気にせず生きな。
自戒を込めて、言っとこう。
注目のコメント
色々なお考えがあるのでしょうが、同年代の子供をもつ親としては、我が子を10歳にして学校のお友達を「ロボット」と呼び、自らを「革命家」と呼ぶような子供には育てたくないですね。
実際のところ社会に対する反逆は、男の子なら必ず通る道で、謂わば、はしかの様なものです。
卒業式で尾崎豊を歌うのがカッコいいと思うのが、男の子であり、多かれ少なかれ誰でも多少はそういう面があるものです。
(因みにかなり早熟だった私も、小学生の時は共産主義こそが理想の社会で、やがて腐った資本主義は「革命」で打倒されると信じていました)
しかしはしかは所詮はしかなのです。
それを拗らせて、一生のうちその時にしか出来ない学びや、経験の機会を失ってしまうのは、とても勿体無いことです。
学校のお友達はロボットではなく、一人の人間であること、自由とは義務と一体であること、社会は考えの異なる大勢の人の集合体であり、一人の思惑で動くものでも動かしていいものでもないことを知るのは、10歳という年齢は余りに幼すぎるでしょう。
少なくとも私はそう思います。ご両親や周りの大人たちが、学校に行かないことで本人が将来被るであろうデメリットを考えて、きちんとリスクヘッジしていれば良いと思います。
10歳で、今の気持ちをユーチューブで発信することが得意でも、本来なら他にも学習しなければならないことがたくさんありますから。
それを、学校に行かないことを許容した親はきちんと補填しなければいけないとは思います。
革命家というネーミングは誰がしたんだろう?
このネーミングだけが気になります。
10歳の子供が革命という言葉の意味を正しく理解しているとは思えないので。https://ameblo.jp/yukiya-happy/message-board.html
お父さんのブログらしい。
まぁ善悪じゃない。自由とその責任を理解しているなら、後は全て本人の選択…うーん、10歳かぁ。
育児放棄や虐待の責任は、親じゃなくて子ども自身が負う事になっちゃうんだよな…どうしても。
僕も批判したいとは思ってなかったんですよね、動画を見るまでは。でもね、それが自分が考えた言葉かどうかなんて、見ればすぐに感じますよ…。なんともやりきれない。
「少年革命家」って名前、誰が決めたのでしょうね。
この子が幸せになる事を願います。