高次元科学への誘い:Hiroshi Maruyama's Blog
コメント
注目のコメント
わかりみが深過ぎる。
記事を超えるコメント欄を書くのがモットーの私ですが、朝の短い時間のスマホ入力でこの記事を超えるコメントを書くのは難しそうです。
エネルギーアナリストである私が、日本データサイエンス研究所の仕事を引き受けたのも、データ分析の先に従来にない「科学」の世界の可能性を感じたからでした。
一般的な科学、つまり(数学を除いた)自然科学のイメージは、その論理性と検証による「確実性」の高さかなと思いますが、そうした一般の科学のイメージと科学の現場との乖離はますます大きくなっているように思います。
"統計的仮説検定では、まず仮説を固定した上で「この仮説が成り立たないとすれば、今得られた実験結果が偶然得られる確率はどのくらいか」を問います。この「仮説を固定した上で」というところが重要なのですが、今の計算機パワーを用いれば逆に、実験結果を固定した上で「この実験結果によく合う仮説は何か」を探してくることができます"
この変化は、統計学における頻度主義からベイズ主義へのシフトということもでき、現在AI研究をやっている人は気がつかないうちに受け入れているものですが、これは科学においては「確からしさ」という認識の枠組みを大きく変えるパラダイムチェンジと捉えることもできます。
それは、社会における「科学」の意味もまた変わってくるということに他なりません。
私の関心分野の1つである原子力技術の社会受容性の議論においても、今後(といってもそこそこ遠い未来)こうした認識の変化が重要になってくるのではないかと思います。
人類は、長い歴史のなかで、「確からしさ」や「蓋然性」を求めて、占いを行なったり、権威や超自然的存在に委ねたり、多数決を行なったり、確率を使うなどして来たわけですが、高次元科学の時代では、「確からしさ」の感覚が変わっていきます。
最近では、AIの説明可能性の重要性が指摘されますが、それはパラダイムチェンジに伴う混乱から生まれるものではないかと思います。
追記
確かに低次元より高次元の方が優れているかのような印象を与えるのはあまり良くないかも知れませんね。
ただ、一方でこれまでの(実験)科学の歩みをリスペクトしつつ、その方法論の限界もまたあったなと思ったりしています。
どの様な複雑さを持つ現象が「興味を持たれるか」という問題もまた横たわっています。読みごたえあります。
対象とする事物(パラメータ)が互いに独立するか依存するかの違いで低次と高次と筆者が決めているようだが、優越のある表現を私はあまり好きではないなあと思いました。
n次方程式を解くためにはn個以上のパラメータを使って解析する必要があり、人間の認知能力が飽和してしまっている今、その解析に必要な道具として、統計的分析や深層学習が有効だという話をしたいのかなという印象を受けました。
私も材料の微細組織・構造などの複雑領域、さらに言えば、独立パラメータとして扱うことができない現象に取り組んでいるので、筆者の意見は良くわかる。何かのパラメータと何かのパラメータは互いに依存し合っているので、従来の科学的方法での解釈、低次元な表現では人間の認知限界に到達した段階に来ていると。なので、トポロジカル的な新たな解釈、捉え方が登場するようになったのは、近年のデータ科学の時代の隆起に沿った必然的なものなのかもしれませんね。
ただ、一つ蛇足ですが、タイトルにあるような「高次元科学への誘い」するというお誘い文句でなく、スケールや複雑性に合わせて適切な道具を使うべしというシンプルな議論に着地させるのがよいのではないかとも思いました。
最近のマテリアルズ・インフォマティクスに関する有識者のワークショップのまとめ記事です。
■多様な安定相からの高機能材料の創製
https://www.jst.go.jp/crds/report/report05/CRDS-FY2018-WR-11.htmlサバティカル中の割に、DOEへの企画書で時間がないので、あとで読みましょうかねぇ
時間ないのに(ナナメ)読んじゃいました
ワタシの専門に比較的近い分野に systems engineering というのがあるんですが、ワタシがコレに、どうしても拭いきれない違和感を感じる理由(の一つ)が書かれていると思いましたねぇ
あ、大場さんの仰ってるハナシ(コレ↑とはちょっと別のハナシ)で、身近(?)な例ではこんなのも
https://newspicks.com/news/3736210?ref=user_1506052