スティーブ・ジョブズの1本の電話が「ピクサーの運命」を変えた
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これは読み応えのある記事。スティーブ・ジョブズが参謀を見抜くセンスの凄さを感じます。目の前の困難より将来の果実のワクワク感に魅了されていく流れが、冷静沈着であろうCFOの視点から描かれているのは面白い。
ピクシー。16年も苦労ばかりで、毎月オーナーのスティーブ・ジョブズに個人小切手を切ってもらわなければ給料も払えないような会社。よく入る決断をしましたね。誰もが反対する道こそ、本当は面白いこともあります。自分の感性が一番正しいことがあります。#ピクシー #スティーブ・ジョブズ
「メイキング・オブ・ピクサー 創造力をつくった人々」 https://amzn.to/2kZKsgy より.
エド・キャットムルはユタ大学でコンピュータ・アニメーションを研究.コンピュータ・グラフィックス研究所を立ち上げたが,技術はあってもアニメーション素人.1979年,ルーカスフィルム内のコンピュータ部門に移籍した.ところが,ジョージ・ルーカスは,映像編集や財務会計のためにコンピュータを使うだけ.キャットムルたちは隠れてコンピュータ・アニメーションを制作していた.そのとき,ジョン・ラセターに出会った.
ジョン・ラセターは1957年生まれ.ディズニー社が設立した芸術大学,カルアーツで学び,ディズニーのアニメーターとして働き始めた.彼はCGを組み合わせた作品を作ることを考えていた.そのころのディズニーはウォルトが亡くなって混乱していた時期で,自分の企画を売り込んだが,逆に会社を解雇されてしまう.
キャットムルは即座にラセターを雇い入れた.1984年,「アンドレとウォリー.Bの冒険」という短編作品を発表.世間の評価は高かったが,ルーカスには不満で,将来性がないとみたルーカスは,コンピュータ部門を売りにだした.このとき,ハードウェア会社として「ピクサー」という名前が付けられた.
そしてピクサーを買ったのが,スティーブ・ジョブズ.ジョブズはピクサーをハードウェアの会社として買った.キャットムルは,アニメーションは宣伝になるからとジョブズを言いくるめ,アニメーション研究を継続.そしてついに,1991年,ディズニーとの共同制作,長編映画「トイ・ストーリー」の制作を開始.しかし,ジョブズは巨額をつぎ込んでも黒字になる見込みが見えないピクサー売却を何度も画策する始末.ところが,1995年,「トイ・ストーリー」の公開で奇跡の逆転.
2000年代に入るとディズニーの業績が悪化,ピクサーとの関係も悪化.しかし,ディズニーにとってドル箱ピクサーの影響力は大.ディズニー社長が代わり,関係改善.そして,2006年,ピクサーはディズニーに買収.キャットムルはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの社長も兼務.ラセターはクリエイティブ担当最高責任者として,かつて解雇されたディズニーへ凱旋したのでした.
また面白そうな本が出ましね.