ずさんな製造・管理で生産加速か=ボーイング「787」-米紙
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ボーイング747、日本航空123便、一生忘れることのない便名です。
それは、1985年、お盆を翌日に控えた8月12日の月曜日の事です。
私は、その前日の日曜日に出張先の大阪から、大阪伊丹空港発の最終便の
飛行機で東京に戻りました。
そして、翌日、出張報告と清算のため出社してから、お盆休みを取るために夕方、再び、羽田空港に向かいました。チェックインを済ませ、実家に電話を入れました。すると、会社から「トラブルが発生したので、会社に戻ってきてくれ」という伝言が。(携帯電話の無い時代です)
しぶしぶ、会社にもどりました。会社に戻るといつもと雰囲気が違いました。社内のテレビから、7時のNHKニュースの最後に「日航ジャンボ機がレーダーから消えた」とのニュース速報。
1985年8月12日の月曜日、18時羽田空港発大阪伊丹空港行、日本航空123便、ボーイング747。機体ナンバーJA8119号機
乗員乗客524名中、520名の命が一瞬に失われた航空史上最大の「日航ジャンボ機墜落事故」です。
定刻より12分遅れて、18時12分離陸。その後、18時24分35秒、機体右後方部の「ドーン」という衝撃音とともに操縦不能状態に。
32分間の迷走(ダッチロール)状態の果てに18:56群馬県御巣鷹山の尾根に激突、炎上。
でも、その後しばらくして、事故にあったジャンボ機の機体ナンバーが判明した時に、頭が一瞬真っ白になりました。なぜなら、その機体は前日に私が大阪から東京に戻った飛行機だったのです。
乗っていた機内の情景と感覚が次から次へとよみがえってきました。
乗員乗客524名、乗客の多くは私と同じビジネスマンでした。(223名)
墜落までの32分間に、彼らが残した走り書きの遺書にもこんな言葉が書かれています。
妻の名前、子供の名前。
妻に対しては、「子供たちを頼む、今までありがとう、感謝している」
子供に対しては、「ママを助けて、しっかり生きろ、ありがとう」
そして、「みんな元気で暮らしてください、本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。ありがとう、さようなら」
これらの遺書を読ませていただいて、感謝するということの尊さを、命に代えて教えてもらったような気がします。
安全第一のために、絶対に風化させてはいけません。ボーイング787は、ANAもJALもかなり導入していたはず。
そして、私がよく乗るSQも最近では787が良く日本に飛んできています。
航空機事故は、最近では事故がかなり少なくなり安心して乗っていましたが、どうやらそのトレンドに変調があるようです。
特に最近の航空機はシステム制御の範囲が広がり、パイロットや管制官のミスでなく、機体のシステムが原因となっています。製造会社の責任がより重くなっているということ。
ボーイング社のコンプライアンスに何か変化があったのか?
その辺りも気になります。飛行機に関しては、
元々開発と納期が長期スパンなので、無理に資本主義に晒さず、年間何機までと規制や、より厳しい監査制度設けてもらいたい。
航空機が飛ぶということは、乗員乗客だけではなく、当該機が飛ぶ範囲にいる地上の人々全員の命に関わります。
航空業界って、何かが起きたからこうしましょう的な発想が多いですよね。対症療法的というか。(飲酒問題もそう)
一度事故が起きれば数百人、その家族や知人を含めれば何万人もの人が悲しみます。
開発面、製造面、運用面、パイロットのオペレーション等、メーカー、航空会社ともに予防の発想で真摯に考えて頂きたい。