【新】聖書を“ゆるく”解説する、教会のツイッターが人気の理由
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宗教の力量というのは、一つにはどれだけの人を受け止められるかであると思います。接客業も大変ですが、人の相手をするのは非常にしんどいことです。本当に誰でも来ていいと思われる場であれば、いろいろな人が来ます。愚痴を聞いてほしい人も、心を病んでいる人も、ただ相手をしてほしい人も、あわよくばダマしてやろうという人も来ます。今の日本だと、本当にそういう誰でも来られる宗教というのはほとんどありません。創価学会などは、昔はそういう人を受け止めることがどこよりもできていたので、急速に伸びました。
今の日本の宗教は、実際にはごく閉鎖的な場になっていて、先祖代々のサークル、集団を維持しようとしているところが多いです。それどころか、自分たちの子供でさえ来たがらないようにもなっています。天理教でも創価学会でもそうだし、キリスト教会の多くにもいえることですが、世代間継承もできずに先細っているところは多いです。
来てもらってから受け止めることができるか、というのが、力量が問われるところなので、外向けのメッセージを出して新しい人に来てもらうのと、その後定着してもらうのは別のことです。大多数が定着しなくてもいいのですが、1割が定着するなら、その宗教は急速に伸びているといえるでしょう。一部の人が新しい人を招き入れようというとしても古くからいる人が阻止するところもあります。結局、人なので、教会の場合は、牧師さんが人同士の関係をうまく調整できるかがカギですね。妻がクリスチャンです。上馬キリスト教会ではないけれど、世田谷区の教会で結婚式を挙げました。
身近な人がいると理解が進むけれど、身近なtwitterでも相互理解が進む時代ですね。
「まじめ」と「ふざけ」の掛け合わせは、面白さの法則のひとつ。
教会で人生をセーブするって、上馬キリスト教会のtweetで久しぶりに思い出しました笑「上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門」著者のお二人の信徒さんに、聖書の素朴な疑問を聞きました。
横坂さんは宗教倫理が専門だけに大変見識が深く、また匿名の「ふざけ」さんは、お父様が牧師というクリスチャン2世です。
お話を聞いて、聖書の教訓は、現代的に合理的に解釈できるんだなということに改めて気づきました。
日頃、せわしなく生きている中で、心を落ち着かせてくれる、とてもいい話だなあと思います。