校則が消えた理由
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めちゃくちゃ素敵過ぎて、電車で謎に泣きそうになりました。。
私もこんな学校で過ごしたかった!(まあ、私は小賢しかったので先生に気に入られながら校則破ってましたが。)
この先生の言う通り、何故なのか、を説明できないルールっていりませんよね。
最近はブラック校則などと言われて注目をある種注目を集め始めましたが、私の時代、10年前ほどですが、には、そもそもそんな言葉さえなかった。
このルールがおかしいと言う風潮さえなかった。
少しずつでも、いい方向に変わって行っているようで、少し希望が持てる内容でした。
注目のコメント
この校長先生の考え方、かなり羨ましいです!中学時代、校則でなぜ髪を結ばなければいけないのか、靴下の長さまで決まっているのか、かなり疑問でした。「ルールだから」というのは先生の発言としてはあまりにも非ロジカルな言い訳。
日本社会の無駄に厳しいルール主義はこういうところから来ていると思うので、どんどん撤廃していってほしいです。とても共感する。
世の中「ダメなものはダメ」な世界もあるし、それは大体好き嫌いでロジックではない。家庭での教育方針とかはそれの代表的なものだし、それは価値観の世界だから良いと思っている。「うちではダメです、なぜならそれが好きじゃないから。やりたいなら大人になってから自分で」でよいと思う。大人になっても、組織や個人としてそういう価値観で「うちはこう」となっていれば、それを踏まえてどう行動するかは個人の判断。
でも、そうではない「もっともらしいけど、ちゃんと考えるとなぜか分からないダメ」が多すぎると思う。そしてそれに慣れるうちに「なぜ」を考えなくなったり、とりあえず規則に従っておく、作っておくということに慣れがち。
本来的には規則は目的達成のための手段であるべきだと思っていて、目的・原則が共有されていれば自ずと規則がなくても動いていくのが良い目的・原則だと思っている。それは成熟している一人の人間として信頼をして任せることでもあると思う。
最低限の規則で目的・原則ベースで動く経験が大人になっていくに向けて必要。そのなかでだれかに迷惑をかけるのでなければ、失敗して学ぶことも人生だし、それが子供時期の失敗が将来への学び・投資になるということだと思う。
そういう経験をどんどん積むことこそが、教育そのものだと思っている。校則(制度)の新設・運用・改廃のルールが曖昧な状態のまま、前例主義的に蓄積していることが問題です。責任の所在もわからないから学校長判断になる。(各クラスなどでの議論を経たうえで)生徒会でも良いと思いますが、保護者・教員・生徒の代表者が委員会を構成して議論しても良いはず。こういった場で、きちんと民主主義の根本的な場を経験させることが何よりも大切な教育です。道徳を授業化するよりもずっと効果がある。大人の一方的なルールの押し付けは、平成の時代で終わらせて欲しい。