脳科学本、求められるわけは 夫が理解できない妻の行動、「脳の性差」で説明
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平均値の統計的有意差をもって、「だから男性はこう、女性はこう」というレッテルを貼って決めつけてしまうことは、科学的ではないというより(その場合の科学とは何か)、単に主張の飛躍であって、みんな大好きな一般化やアナロジー思考。
そして、その様に考えることで、日常の出来事に説明をつけて納得をし、「ああ、性別のせいなのね」と納得して前に進んでいく。それはそれでなんらかの効用があったりする。
似たようなことは、「日本は◯◯」のような国民性の話や、県民性の話、「Googleは」「東大生は」「政治家は」などの言説も同じで、論理の飛躍は許されない、レッテル張りはダメとなれば、そうしたものもすべて控えなければならなくなる。
問題かも知れないのは、根拠がないことは言わないと見做されている「科学者」のイメージがある人やそうしたイメージを自称する(あるいは肩書をもつ)人が、結果以上のことを連想させるような言及をすると、その内容もあたかも根拠を持つように聞こえてしまうこと。
逆に、メディア側としても信憑性を高めるために、「◯◯を科学する」とタイトルにつけたり、科学者っぽい肩書の人に語らせようとする。
私が懸念するのは、どこも似たような問題があるのに、ニューロセクシズムに対する正義だけがセンシティブになってしまい、研究そのものが避けられていってしまうこと。
男性脳・女性脳の論法、専門家「ステレオタイプを強化」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM43519FM43UCVL017.html
下手をすると自称脳科学者の話は科学ではないことが多いので、脳科学は科学ではないとすら言えてしまいかねない。難しい問題だなぁ。