小中学校でも飛び級や留年を 経済同友会が提言
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飛び級は高校2年生が高校3年生を飛び越して大学に入学することを認められていますが、もっと柔軟にしてもいいです。ギフティッド向けであれば、大学入学基準の緩和で対応できます。
留年も法律上は可能なのですが、使われることはありません。
学校から年次が重視されるので、留年させることには、学校も保護者も社会も抵抗を持っていることが原因です。
学ぶ権利の保障という意味では、理解が至っていない子どもの留年もあって然るべきです。さらに言えば、教科毎に進級を判断する方法もあり得ます。
もっとも、アダプティブ・ラーニングに変わればこのような議論もなくなります。年齢で割っているのはマス教室で教える側の都合です。思い切った提言ですね。
なんせ、文科省のやる事待ってたら何も変わらないわけです。戦後変わったのは日の丸と国歌の扱いだけなんですよ。日教組と戦ってた時の方が、生き生きしてたのが文科省なのです。
学年、学級の壁を失くした方がいいと思います。アメリカ型の教室移動して、選択をもっと自由にさせるようにすれば、本当の主体性のある学びになるわけです。出来る子はどんどん先に進めばいいのですよ。まあ、留年は難しい事多いですが、飛び急は出来ると思いますよ。
同友会も小学校の低学年からとは考えてないと思います。小学校高学年ぐらいからやればいい。
まあ、文科省は基本アホなんで、財界のオジイサマ方が何か言わないと、日本の教育は変わらないという事です。飛び級については置いておいて、留年はいかがなものか…。
大学生の頃、ある中学校(割と荒れていた)で放課後補習のインターンをしていました。
中学3年生の希望者に対して、小学校でやる分数を教えたりしていました。この子達、学力は低いですが、とてもとても素直でした。これまで勉強をやってこなかっただけで、教えたらすぐに吸収してくれました。
留年の制度は、個人主義が根付いた社会ならとても理に適っていますが、日本的ムラ社会(小・中学生特有の精神性も併せて)と果たしてマッチするのかは疑問です。そもそも、これだけ教育格差がある状態で、中には「もうそれ塾でやりました」とか言われ、先生もどのぐらいのレベルの生徒を対象に授業をしたら良いか、苦労されていると思われます。高校でも、「周りが帰国子女ばかりなせいで英語の先生がやたら難しい問題を作る」と嘆く生徒がいました。その環境下で先生の設定したレベルから外れると留年、というのは厳しいんじゃないかと(もはや集団型の教育という構造自体にも問題がありそうです)。
僕が接してきたような生徒がまだ今もいるとして、仮にこの制度が適用されると、きっと留年どころか最後は不登校になるんだろうな、と思います。少なくとも、セーフティネットと併せて制度を用意しないと、確実に不幸な人を生みます(留年が無く困るという例よりは、留年して困る例の期待値の方が高そうなので、ゼロサムよりは、マイナスサムだと思います)。
セーフティネットの用意を含め、もう少し負の側面への配慮が行き届いた仕組みであればまだ良いのですが…。