新元号 6原案中4つは 「英弘」「広至」「万和」「万保」
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注目のコメント
中国でもたいへん注目している。
中にはこのような発言もある。
《黄帝内经》(灵枢·终始)云:“阴者主脏,阳者主腑。阳受气於四末,阴受气於五脏,故泻者迎之,辅者随之,知迎知随。气可令和,和气之方,必通阴阳。”
《黄帝内经》早于《归田赋》,而《归田赋》早于《万叶集》。“令和”之词大概于此。
令和はより早く中国の古典にあったようだ。
さらに日本の新聞を読んで、「初の国書、首相のこだわり」という言い方もあったが、
安倍首相は具体的に発言しているとは思わないし、さらに中国の古典には「令和」という直接の表現があり、日本の古典文学学者は知らないわけではなく、首相に進言していないとも思わない。「初の国書、首相のこだわり」という表現は安倍首相を皮肉していると思われる。
首相官邸での全閣僚会議で、杉田和博官房副長官は、「『令』という字が元号に使われたことはありません」と言ったそうだが、大胆な使い方で日本はこれからどんどん革新していくという予感もする。一人一人の日本人は、きっとこの新しい元号のもとで創造力がより生かされていくとも思われる。
また今日の朝日新聞は『帰田賦』については言及したが、『皇帝内経』についても議論しているし、それは帰田賦より早く出ていることについては言わない。世論のウォッチが足りないのではないかと思われる。記事を書こうとすればもう少し調べてもいいのではないか。
追伸
岩田ピッカーのコメントをありがとうございました。
「どこかに、中国への敬意を払いながらも、中国からの影響力を排除する意思を感じます」と岩田ピッカーが書かれたが、的を射た内容と思われる。令和に至る選定過程を見てで改めて思うのは、やはり古代中国の強力さと、文化の偉大さ。
令和の元ネタが漢籍にあるではないかという話がTwitterなどで盛り上がっていましたが、そんなの当たり前のお話。
そこはちょっと日本文化の歴史を買いかぶりすぎなのです。
そもそもこの時代は片仮名も平仮名もなく、公文書などは全て漢文でした。
その時代にあって、万葉集は、万葉仮名という手法を使って、漢文でありながらも大和言葉を表現しようとしたことに歴史的、文化的価値があるのですね。
別のビックでも取り上げましたが、令和の元ネタとなる梅花三十二首序の終段には、その素晴らしい中国の文化を踏まえつつも、正にそれに甘んじるのではなく、日本は日本で独自の文化を作っていくのだ、という想いが高らかに謳われています。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。
(漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うというのか。
よろしく庭の梅を詠み、いささかの大和歌を作ろうではないか。)
今の日本に必要なのは、奢りでも侮りでもなく、他国やかつての先人が持っている素晴らしいものを認めつつも、それに甘んじることなく更に高めようという自主独立の気概なのでしょう。これは、実際に検討された原案ではなく、令和にはちょっと劣る案を「公表は差し控える」と言っていたにもかかわらずリークしてしまった形にすることで信憑性を上げながら世に出し、国民に「やっぱり令和で正解だった」と強く思わせるために用意された架空の原案であり、この中に「安」の字が使われたものがなかったこともそれとなく示して一部の安倍首相への不信感も潰すという、すべて計算し尽くされたシナリオです。近々僕が日本政府によって消されたら、これは真実だったということになりますので、どうぞよろしく。NP民の皆さんが証人です。
っていうくらいには、僕は世の中を斜めに見ており、どんなに偉い人のお話も50%しか信じません。偉い人、せっかく偉いのにすいません。