“優しい人”が「自分らしい思考」を喪失していく4つの原因
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「困っている誰かのためになる仕事をし、他人の問題解決のためにすばらしいパフォーマンスを発揮する」ことを「他人モード」と言っていますが、これがもし本当に自分の人生をかけてしたいことだったら、それは「自分モード」になるんじゃないですかね。と思いました!
いずれにしても本買います!
注目のコメント
当たり前だが、ビジネスはそもそも優しくないもの。
ビジネスで成功だけを求めていけば、優しさからは離れていく。
逆に本当に優しい人は、そもそも利益を目的としておらず、「成功」などという形を求めてはいない。
優しい人がビジネスで成功しないのではなく、優しい人はビジネスで成功を求めていない、ということ。
厳密に言えば、優しい人はビジネスではなく、純粋に社会に貢献することを目的としている。
人間の中に、利他的な部分があることは、間違いのないことで、否定する意義はない。
ビジネスの成功こそが全て、だとする狭い価値観が、最近短絡的に論じられている本が多過ぎる。優しい人にも、人を助けるということもいくつか種類があると思う。
目先の人助けは、プライベートなどでは良いと思うが、ビジネス面では良くない傾向だと思う。
例えば、仕事があまりできない同僚や部下などの仕事を手助けするなど、目先の人助けをしてしまうと、結果的に自分も助けた相手も成長しないし、お互いが足を引っ張っている状態になってしまう。
ビジネスにおいての人を助けるというのは、長期的な思考をもたなければならない。
人を助けるためのビジネスや、会社内の仕組み作りをすることが、真に人を助け、自身も成長していくことだと思う。近くに悪い奴がいて、そういう奴は優しい人に色んな物事を頼んでくるし、側についてきて利益をしゃぶり尽くしてくる傾向にありますね。
つまり、優しい人だけしかいない世界なら良いが、ハイエナみたいな輩は優しい人を見つけてターゲットにしてくるので優しい人ほど思考を壊される可能性高いといえます。
私の個人的な体験談になりますが失礼します。
私がこのタイトルを見てパッと思い出したのは母校の愛知県にある中高一貫校の出来事です。長いこと悪い輩が育ちの良い優しい生徒たちに寄生して色んなものを潰していき、結果何人もの優良な同級生が学校を辞めていってしまいました、会社でいうと優良な社員が退職に追い込まれる感じですね。一緒に学校生活を送りたい仲間がそんな風に辞めていってしまい私は虚無を感じてました。私自身も精神的にも苦しみました。
陰湿で教員たちも見抜けず…
昔日本に非人という階級があると聞きましたが、現代にも非人はチラホラ居るんだなと痛感。監督の目にとまらないところで弱い者を追い込んで潰す、なのに己は次の日以降知らんそぶり、何食わぬ顔でみんなのコミュニティにいる、江戸時代の村八分って村を維持するために必要な手段だったんだなーと思いました。綺麗事ではなく対抗手段が必要だったということ。
教室という刑務所に毎日通わないといけない日本の中学、高校制度は欠陥ですね、