NZ銃乱射、殺人容疑で訴追の男が出廷 豪国籍の28歳
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社会学者的な直勘として、2016年の相模原障害者施設殺傷事件が頭をよぎった。どのような人が狙われたのかの違いはあるが、それは社会的な条件の違いで、現代の世界には、何か理不尽な憎悪を暴走させるような要因があるように感じられてならない。どちらも無茶苦茶で酷い事件だが、ただ嘆き悲しみ怒るだけではなく、深く考えてみる必要があるだろう。
報道と調査が進まないと,何とも言えませんが,
憎悪が育つ場所がどこであれ,
テロが行われる場所は,ネットが有ればどこでも良い,
と証明されてしまった感があります.
むしろ,警戒の薄い平穏な場所が,対象区域として
狙われる可能性が出てきてしまいました.僕がロンドンに住んでいたときふだん通勤に使っていたバスや地下鉄が同時多発テロにあったことがある。公共交通機関がすべてストップしたのでまるで東日本大震災のときの東京のように帰路に向かう人々の行列が延々と続いていた。そのときの犯人はアルカイーダだったが、日本でも報道されていたので記憶している人もいると思う(ロンドンはIRAのテロもしょっちゅうあったがそっちのほうは全然報道されていなかった。今回のテロもピエール瀧に比べると日本ではあまり重要ではないようだ)。しかしその頃のテロに比べるとSNSで中継するというのは現代的だなと思う。たぶんSNSもある程度ebayのようにユーザーの機能を信用によって制限したほうがいいのではないかと思う。たとえばebayはいきなりたくさんの商品を出品することはできなくて、最初は10品ぐらいしか出品するしかできない。そしてある程度の販売実績を作ると20品出品できるようになる。そしてさらに良いフィードバックが増えると50品出品できるようになる。さらに良いフィードバックが増えると今度はこの機能が使える、という風に何年もかけてある程度の販売実績を積み重ねないと機能を存分に使うことはできない。なのでFacebookなんかも最初は200字の投稿しかできないとか、ある程度のイイネのフィードバックを積み重ねたら1000字までオーケーとか、さらに信用を積み重ねると写真を投稿できるとか、さらにフィードバックが良かったら動画をアップできるとか、イベントページをつくることができるとか、ちょっと難しくしてもいいんじゃないかな。ヘイトとか繰り返す人は先に進めないとか。そして運営者のイデオロギーに左右されないようにその判定はAIにさせる。特に今のFacebookやTwitterは素人の投稿が目障りだし、ある程度選別したほうが見るほうもおもしろくなると思う。