「若者責任論」から脱却し、その価値観に学べ 若者に対する嘆きをプラスの力に変える処方箋
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若者からの学びを推奨する「オトマナプロジェクト」に取り組むリクルートマネジメントソリューションズの桑原正義さんにインタビュー。
普段から社内外で上司、部下の両方の立場の方からのお話を聞いているという桑原さんに、職場で実際に起きているという若者(と上司世代の関係性)に関する問題に、前向きな解決策のヒントを提示し、幸せな職場づくりにつなげる、という視点からお話いただきました。
前編では「相手に問題がある、そしてそれは彼ら自身の責任だ」と決めつけてしまうのではなく、まずは、「相手を理解し、学ぶ」という姿勢を提示いただきました。
後編(「若者の言動に抱く「違和感」を「好奇心」に変えよ」)
https://newspicks.com/news/3745908
では、桑原さんご自身の体験も交えて、若者から学ぶ際のポイントだけでなく若者からトライを引き出すコツ(心理的安全性)などもお話いただきました。ぜひ読んでいただければ幸いです。
注目のコメント
むしろ、いつまでも年の差や世代間の問題にしていることが問題では?
年寄りが「イマドキの若いモンは」と言いたがるのは自己防衛本能だから仕方ないんだけど、じゃあ20代と50代は絶対相容れないかというとそうでもない。要は、年齢の問題ではなく、パーソナリティの相性の問題なんですよ。そこを無視して年代や世代間の問題にしちゃうから、これっていつまでも解決しない。まあ、別に解決すべき問題でもないけど。
若い子がおっさんと対立するのは、いい意味で「社会における親殺し体験=自立」ですから。大人も若者も学べばいいだけ。
世代や時代のせいにするのではなく、常に学んで成長していれば、柔軟に対応できます。お互いに理解できます。
価値観は、固定的なものではなく、変わるものですから。まずは、決めつけをやめることから始めましょう。本件、「世代間の違い」や「組織と個人」という小さなスコープにフォーカスして欲しくないと思います。
「経済状況の違い」にフォーカスしないと本質を誤ります。
今の50代以上の世代が若かった頃、日本はまだ右肩上がり経済(即ちインフレ)でした。この頃は供給よりも需要が大きかったため、とにかく「売りに行けば売れた」のです。
だから「訪問件数が少ない」のは怒られて当然です。
訪問件数を増やせば増やすだけ売れるのですから。
一方、特に2000年以降はデフレであり、現在も深刻化しています。つまり、需要というパイがどんどん縮小していく中で供給過剰なのですから、過剰な競争を強いられます。
いたずらに訪問件数を増やしたからといって、売れるわけではないのです。
それをオジサンは「私が若いころはそれをやって勉強になったし、実際に売れたのだから、同じようにやれば、遠回りかもしれないが、良いはずだ」と若者に押し付ける、という構造ではないでしょうか。
「作れば売れた」時代に必要な人材は、「とにかく上司の言う通りに手足となって動く」人材です。軍隊をアナロジーとしたマーケティング理論が登場した背景もここにあります。
従って、学校教育においても同調性を重んじる明治以降の学校スタイルがハマったのです。
一方で、現在は「作れば売れる」時代ではなくなりました。
長引くデフレかつ、グローバル化を含む新自由主義ば世界を跋扈した結果引き起こされたVUCA(VULCADとしても良い)社会下では、まさか公共教育の場で椅子取りゲームを実施するわけにはいきません(シンガポールは実施しているが)。
同調性は忌避される教育が個の生き残る可能性を探るという意味では確率が高くなるのですから、当然の帰結とも言えます。
従って、文末の、「むしろオッサンが若者の価値観に合わせるべき」はその通りだと思います。