道徳を「教科化」してもいじめは減らない!? きれい事ばかり並ぶ残念な中身
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非常に難しい議論ですね。いじめという課題に対して、道徳の教科化という手法で解決を目指す。
あらたな取り組みの粗を探して揚げ足をとるよりも、まずはこうした取り組みを応援したいです。一定期間経たないといいも悪いも判断ができませんしね。
個人的には、1歳半の息子がいる父として、相手の立場に立って考える「想像力」を養ってもらうために、色んな絵本を読みながら息子に問いかけてみたいと思います。
注目のコメント
駄目なことだからという諭し方でイジメを無くすことは難しいように感じます。金持ちが強盗しない様に、イジメにニーズが無くなるようにすれば良いのです。なぜイジメにニーズが有るかと言うと、それくらいしか楽しみが無いからです。イジメなんかよりももっと楽しいことで生活が充実していれば、イジメは無くなります。
私が通っていた学校は自主自立をモットーに、生徒を縛るような校則は殆どありませんでした。皆それぞれ、部活、バイト、バンド、スケボー、ゲームとやりたいことを自由にやっていた結果、イジメをしなくても楽しい生活を送ることが出来たので、イジメは全くありませんでした。頭で理解しても、心の痛みはわからないのでは?
高い道徳があることを学んでも、いじめはそんな高尚なことではない。
また、法律を守らなければいけない、人をいじめてはいけない、という義務を押し付けるアプローチでは限界がある。
心の痛みを知ることは、いじめられた経験がないと本当にはわからないかもしれない。しかし、いじめられる相手の心を想像することはできる。
大人になっても、いじめをする人はいます。きれいごとではなく、深層心理なども考慮したアプローチを真剣に考える必要がありますね。わたしは、いじめはなくならないと考えている。それは人間社会に限らず、ほぼ全ての生物においても。
だから、いじめやそれに類似したことは起こるという前提で「どうするか?」を考えることが重要。
じゃあ何やるんだと言うと、やはり教育だと思う。人間は考えることができる生物なので、教えてもらい、理解することで、一人ひとりの行動は変えられるはず。
そこで何を教える(理解してもらう)かと言うと、「孤立させない」こと。誰もがいじめる側にもなれば、いじめられる側になる可能性がある。ただ、いじめる側に「いじめるな」と言っても効果はうすいので、いじめにあった場合と、いじめを知った場合の考え方と取るべき行動を教える。
いじめられる側になった時は、「どんなに嫌われていても、100人全員に嫌われる奴はいない。」「仮に今いる環境で接する人全員に嫌われても大丈夫!500人、1000人と接する人が増えていけば、絶対に一人は味方になってくれる人がいる。」と考える。
この考え方を伝え続けること。
いじめを知った時は、「絶対にその人を孤立させてはいけない。」「見て見ぬ振りをして、大勢側につくのは、マジでダサいよ。」「そこで行動を起こせる人が素晴らしいんだよ!」という考え方を伝え続ける。
これを小さい頃から繰り返し教えていけば、いじめは減らなくても、いじめを発見した時に行動に起こせる人が増えるんじゃないか、それによって、いじめを理由に自殺する人は減るんじゃないかと思う。